
今年はG.H.バスにとってふたつの節目の年となる。ひとつが「ウィージャンズ」誕生90周年、もうひとつが創業150周年である。
「ウィージャンズ」のアニバーサリーモデルは「ラーソン」をベースにサドルストラップに90周年の記念コインを挟み込み、アニバーサリーフラッグの刺繍を施した。アッパーに採用したのはブラックとワインのハイシャインレザー、トリコロールのタンブルレザーの3つだ。
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念のために解説すれば、「ウィージャンズ」はいわゆるペニーローファーの総称で、最初に登場したモデルはハーフサドルの「ローガン」だ。ビーフロールの「ラーソン」はその派生形としてつくられたが、いまや「ウィージャンズ」を牽引する存在になっている。ゆえに「ラーソン」がアニバーサリーモデルの座に収まった。
正直なところをいえば、祝祭のモデルとしてはいささか物足りなさを感じないでもない。3色で染めたタンブルレザーは日本初だが、ハイシャインレザーはおなじみのものだ。もう少し特別な――たとえば発掘されたカール・フロイデンベルグのボックスカーフ――のような非日常性を求めてもよかったのではないかという思いがよぎったが、すぐにその考えを打ち消した。


「ウィージャンズ」4万1800円
「ウィージャンズ」は戦後の豊かなアメリカで広まった大量生産の申し子である。機械生産を背景にアイビーリーガーの旺盛な購買意欲に応えた。カジュアルシューズというジャンルに先鞭をつけた靴であり、履くのに躊躇するような上等なレザーは似合わない。
歴史を踏まえれば、素っ気ないほどシンプルなあしらいはむしろ「ウィージャンズ」らしいのである。
素っ気なさなら創業150周年記念モデルも負けていない。
大役を任されたのは「レンジャーモック」と「キャンプモック」。いずれもプルアップレザーでラギッドな旨味を引き出しつつ、インソール、アンラインド、ラバーラグソールで履き心地を向上させたが、アニバーサリーモデルであることを伝えるのは小さく刻印された“150”の数字のみだ。


「レンジャーモック」4万6200円


「キャンプモック」4万1800円
本物のギアに華美な装飾はいらないということだろう。
あのリンドバーグも足下の相棒に

G.H.バスは1876年3月9日にメイン州ウィルトンで呱々の声をあげたシューメーカーだ。創業者は、ジョージ・ヘンリー・バス。
州のデジタルアーカイブによれば、バスはタンナーでキャリアを積んだのち、同地のシューメーカーのEPパッカード社を引き継ぎ、G.H.バスに名を改めた。バスはほどなく、工場をウィルソン・ストリーム沿いへ移した。水力による生産体制を築くためだった。

“Make the best possible shoe for the purpose for which it was intended(その用途に適した最高の靴をつくる)”を社是に掲げたバスは働く男のための靴をつくった。往時のカタログには“for HARD SERVICE”のコピーが踊った。
G.H.バスの名が広く知られるようになったのは1892年。その年に発売した「ナショナル・プラウ・シュー」が端緒だった。プラウ(=Plough)、すなわち鋤の意であり、プラウ・シューは農作業靴のジャンルのひとつだった。残念ながら現物を拝むことはできなかったが、G.H.バスのそれは一年を通じて履けることが画期的だったという。
1906年には森林作業者のための「バス・モカシン・クルーザー」を、続けてキャンパーのための「レンジリー・モカシン」をリリースする。後者は11アイレットのブーツでシャフトはスエードなどの起毛革で切り替えられていた。その姿は『アウトドア・アメリカ』という当時の専門誌でも確認することができた。
ここからわかることは、モカシン縫いは「ウィージャンズ」が登場する前からすでにありふれた製法だったということだ。しかしそれも当然だろう。メイン州は先住民の文化を吸収し、ハンドソーン・モカシンの一大拠点となった土地なのだから。
話を「ウィージャンズ」に移す前にもうひとつだけ言及すれば、“for HARD SERVICE”を突き進んだG.H.バスは長じてその頂に立つ。あの大西洋単独無着陸飛行の偉業を成し遂げたチャールズ・A・リンドバーグが足下の相棒に選んだのはG.H.バスだった。
世界初のグランドスラムを達成し、球聖と謳われたゴルファー、ボビー・ジョーンズ、南北両極への飛行を成し遂げたリチャード・E・バード、自身の名を冠した博物館が死後創設された登山家のブラッドフォード・ウォッシュバーン……その分野の第一線で活躍した人々はもれなくG.H.バスに足を滑り込ませた。
「レンジャーモック」と「キャンプモック」の来歴はもはや薮の中だが、G.H.バスの本流に連なる靴種であり、現在のアウトドア・カテゴリーのツートップである。周年にふさわしいことがわかっていただけだろうか。
二人の立役者
1936年、のちにシューヒストリーに太字で記載される靴が誕生した。「ウィージャンズ」だ。
誕生までの軌跡を辿れば、まるで冒険小説を読んでいるかのような興奮を覚える。そこには二人のキーパーソンがいた。
一人目は英国の上流階級の子弟。彼は釣りに出かけたノルウェーで一足のモカシンに目を留める。アウルランドシューズだ。
アウルランドシューズは1920年代初頭にアメリカで製靴技術を学んだニルス・グレゴリウソン・トヴェランゲルが考案した。母国に帰り、農夫や漁師が履いていたスリップオン構造の革靴にかの地で体得したテクニックを組み合わせた。そう、モカシン縫いである。

その靴は時をおかずヨーロッパのリゾートで履かれるようになり、そうしてフロリダのパームビーチへと渡る。
もう一人の立役者は男性誌『エスクァイア』のエディターだ。バカンスだったのだろうか。彼はパームビーチでアウルランドシューズに出会う。嗅覚鋭い彼は一発でその可能性を見出し、アメリカでつくろうと思い立つ。声をかけたのがいまは亡き服飾店のロジャース・ピートとG.H.バスだった。「ウィージャンズ」というネーミングはNorwegians(ノルウェー人)から採った。
「ウィージャンズ」はアイビー、プレッピーという二大トレンドを飾る足元として華開いた。ジョン・F・ケネディやポール・ニューマン、オードリー・ヘプバーンが履き、マイケル・ジャクソンのムーンウォークを一緒に踊った。
アメリカの技術が逆輸入されるかたちで広まった、というのがすこぶる面白い。
往年のスターを虜にした魅力は時代が変わっても色あせることはなかった。クロエ、マーク・マクナイリー、トミー・ヒルフィガーといった錚々たるクリエイターがコラボレーションの相手に指名してきた。ジェイソン・ディル(シュプリームの広告塔も務めたレジェンドスケーター)が履いた姿をインスタにアップして大いに話題になったのも記憶に新しいところだ。
ちなみに、ペニーローファーと呼ばれるようになったのはアイビーリーガーが電話代として1セント硬貨をサドルに挟んだからといわれているが、これは眉唾だ。なぜならば、当時の公衆電話の対象硬貨は5セント硬貨〜だったからだ。
“90”の数字が刻印された記念コインも吐き出されます。念のため。
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