マッシ流、餃子のつけだれは「酢と胡椒」

また、食べ方の作法が自由であることも、イタリア人の僕には心地よい。イタリア料理には「このパスタにはこのチーズ」といった厳格なルールが存在することが多いけど、餃子の前では誰もが自由な表現者になれる。
まずは王道の「酢・醤油・ラー油」。この黄金比を探る時間は、まるで実験をしているようで楽しい。だけど、最近の僕は自分なりの正解を見つけた。それが「酢と胡椒」だけで楽しむスタイルだ。
小皿にたっぷりの酢を注ぎ、そこに「これでもか」というほどの胡椒を振る。このシンプルなタレに、焼き立ての餃子を潜らせる。すると、酢が豚肉の脂をさっぱりと洗い流し、胡椒の刺激が野菜の甘みを鮮烈に引き立てる。

醤油の塩気に頼らないこの食べ方は、素材のポテンシャルをダイレクトに味わえる、僕のとっておき。皮の小麦の香りが、より一層際立つのを感じるはずだ。

さらに、王将の魅力はカスタマイズの自由さにある。しっかり焼きや、ニンニク激増しなど、その日の体調や気分に合わせて、自分だけのベストなひと皿を注文できる。このパーソナライズされた自由さこそが、現代の食における真の贅沢だ。
GYOZAは「食の最適解」のひとつ
イタリアで「GYOZA」が受け入れられているのは、ただブームだからというわけではない。日本人が長年かけて磨き上げた「食の最適解」のひとつが、イタリア人の心に刺さったからだ。
中国で生まれたDumplingが海を渡り、日本で独自の進化を遂げ、今や「GYOZA」という固有名詞で世界を席巻している。これはまるで、かつてナポリで生まれたピッツァが、アメリカや日本で独自の進化を遂げ、世界中で愛される過程を見ているようだ。文化は混ざり合うことで強くなる。

王将のカウンターに座り、黄金色に輝く餃子を頬張る。隣では仕事帰りのサラリーマンがビールを煽り、反対側では学生たちが笑いながら大皿を囲んでいる。そこには、国境も世代も、そして肩書きさえも超える、普遍的な幸せがある。

もしイタリアの親友が日本に来たら、僕は高級な懐石料理の前に、まず王将へ連れて行くだろう。そして、あのテキパキとした店員の動きを見せながら、「これが日本のダイナミズムの正体だ。酢と胡椒を準備しろ、人生最高の12個がやってくるぞ」と言う。
飽きることのない、完成されたひと粒。僕たちはこれからも、あの赤い看板に吸い寄せられ、パリッとした皮の食感に、人生の小さな喜びを見出し続けるに違いない。
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