バスケ界“改革”の時期に身を置いて
©︎CHIBAJETS FUNABASHI
10年前に千葉ジェッツに加入した原選手。最初は商店街の小さなイベントに立っても、誰からも声はかからなかった。そんなときを経て、今や1万人規模のアリーナでプレーするまでにチームとともに自分も成長。地元・船橋で育った彼だからこそ、よりこの街のバスケ人気の高まりを肌で感じている。
――ホーム地の船橋ではアリーナも建設され、さらにバスケ熱が盛り上がりを見せている印象です。原「こうして大きなアリーナでプレーできるのは、あの頃、誰よりも近くで支えてくれたファンが居たからこそ。感謝しかありません。学生の頃は、ただ夢中でバスケをしていましたが、今は立場が違います。この街がバスケで盛り上がっていくのを見るのが、純粋にうれしい。
もっと高いレベルのバスケを届け、船橋をもっと元気にしたいって思っています。もし自分のプレーを見て、バスケを始めた子が、いつかワールドカップやオリンピックに出てくれたら。引退後、その姿を客席から見られたら、それ以上の幸せはありません」。
原「僕が入る前なんて、ジェッツは20連敗したこともあるようなチームでした。それでも応援し続けてくれたファンがいてくれたからこそ、満員のLaLa arena TOKYO-BAYがあると思っています。今シーズンも目指すのは、“Bリーグ優勝”だけです。
優勝できなかった年の悔しさは、次のシーズンの原動力。逆に、優勝した年はどうしても満足してしまう部分もあるんですよね(笑)。だから今は、“今年こそ”という気持ちが強いです」。
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――今でもプロ選手として意識していることはありますか?原「ルーキーの頃に感じた、“試合に出られない悔しさ”は今でも忘れていません。年齢を重ねても、戦力として必要とされる選手でありたい。その危機感が、自分を前に進ませてくれるんです。
もし、“練習で手を抜いてもいいかな”とか、“試合に出られなくてもまあいいか”なんて思い始めたら……たぶん、もう引退が近いんだと思います。でも、今はまったくそんな気持ちはないですね」。
――「千葉ジェッツ」に所属して10年。チームではベテランと呼ばれることも増えてきた年次では?原「正直、ベテランなんて呼ばれるのは受け入れてません(笑)。40歳までプレーしたいとかじゃなくて、“まだ若い世代に負ける気はない”っていう気持ちがある。ジェッツで最初の監督だった大野篤史さんに、“プロ意識を持て”って言われたことが、今もずっと自分の軸になっています。
たとえ40歳まで現役を続けられたとしても、“プレーヤーとしての価値”を持ち続けていたい。自分は、コートに立ってこそ存在意義があると思っています」。
――長い時間にわたり、今日はありがとうございました!原「こちらこそ、ありがとうございました。もしよければ、今度はアリーナで。コートの上の“原 修太”も、ぜひ見に来てください!」。
原 修太(はら・しゅうた)1993年12月17日生まれ、千葉県出身。習志野市立習志野高等学校から国士舘大学を経て、2015年 B.LEAGUE・千葉ジェッツに加入。187cm、96kgのフィジカルを武器に、攻守にわたり存在感を発揮するシューティングガード。
2024-25シーズンには、2年ぶりとなる「ベストディフェンダー賞」を受賞。ガードからビッグマンまで対応できる守備力の高さで知られ、日本代表としても2023年FIBAワールドカップに出場。趣味はゴルフ、ダーツ、映画鑑賞。Instagram:
@shutahara31