かつてのドヤ街での光景
はじめて西成に来た頃、車道に裸のおじさんが倒れていたのを目にしたことがある。テロでも起きたのか?と思ったが、ただ酔っ払って寝ていただけだった。その横を、「いかにもヤクザが乗っていそうな雰囲気」の外車が走り去っていった。
西成の中心にある三角公園に行くと、ドラム缶が置かれ、その周りに人だかりができていた。「半か丁か!」と言いながら、博打が行われていた。まるで戦後を舞台にした映画のワンシーンのような光景に絶句したのを覚えている。
かつてのドヤ街は、映画のような光景だった。

三角公園の近くには、「なるべく歩かない方が良い通り」もあった。そこでは違法賭博が行われており、建物の前には「ハリ」と呼ばれる見張りの男が怖い顔で座っていた。
酔っ払い同士が怒鳴り合い、殴り合う光景もよく目についたが、早朝の西成は真面目だった。朝といっても夜明け前の4〜5時である。まだ暗い道を、作業服を着た男たちがボストンバッグを肩に背負って黙々と歩いていた。目指す先は西成労働福祉センター、通称「センター」と呼ばれるランドマーク的な建物だった。
西成のランドマーク的存在、職業紹介所、通称「センター」は2019年に閉鎖された。
そこで仕事が決まっている人はヴァンに乗せられて現場に運ばれ、仕事が決まっていない人は「手配師」と呼ばれる男と交渉して仕事を得る。仕事にあぶれた人は、センターで「あぶれ手当」をもらう。センターの周りには、彼らをターゲットにした飯屋の屋台や、消費期限切れの弁当を売る露店が並んでいた。
露店は盛況で、どこかで拾ってきた片方の靴やリモコンを売る人、スルメを紙皿に乗せて売る人などさまざまだった。裏ビデオや睡眠薬など非合法な物も売られていた。もっと非合法な麻薬は、さすがに露店では売られていなかったが、道路には何人も売人が立っていた。
ドヤの窓から外をのぞくと、売人が日雇い労働から帰ってきた男たちに話しかけているのが見えた。中には、まだ高校生にしか見えないような売人もいた。
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