メルセデス・ベンツの3代目SL(R107)。今普段乗りしているとかなりカッコいい一台です。
「珍稀車図鑑」とは…… 今回は番外編として、カーカスタムのプロである鹿田さんがこれまで所有してきた愛車を紹介。前回に続き、車好きの心を射止めた車たちを深掘りする。
【写真10点】「SL、ゲレンデ……カーカスタムのプロの数奇な車遍歴【後編】」の詳細を写真でチェック 案内人はこの方! 鹿田能規さん●関西と関東に拠点を構えるエスアンドカンパニー。スーパーカーからノスタルジックカーまで車作りの第一人者として全国にその名を馳せる。www.s-company.jp
30代で調理師から車稼業に転身した理由
ども。珍稀車ハンターの鹿田です。前回に続いて、ボクの愛車遍歴を紹介したいと思います。
その前に前回お話ししたように、31歳まで調理師だったボクが、どうして今のエスアンドカンパニーを立ち上げたのかについてお話しておきます。きっかけは親父とのやりとりからでした。
親父は「トヨタ車以外は車じゃねぇ!」と、トヨタ車だけを並べる街の中古車店やったんです。そんな親父に、車好きが高じたボクが「外車(編集部注:輸入車のこと。 以下当時の発言を尊重して外車と表記します)が欲しい」って言ったら「金もないくせに見栄ばっかり張りやがって。外車はヤ●ザが乗るもんや!」と。
いや、そんなんちゃうって、これからは外車がもっと気軽になるはずや、とボクが反論すると、「今までコックやってて、売り方も知らんくせに口出しすんな」と。それで思わず「じゃあ自分で車屋をやってみる!」と言ってしまったんです。まぁ、人生1回くらい、好きなことで勝負してみてもいいやろう、という気持ちもどこかにありましたしね。
レンジローバー イヴォーク。イギリスのチューナーであるオーバーフィンチのキットを組み、その年のボクのラッキーカラーである紫にラッピングしました。
それに対して親父は「お客さん(顧客)もいてないのに、どうやって売るんや!! やれるもんならやってみろ」と怒りつつも、中古車店の片隅にあった2坪くらいの倉庫を貸してくれたんです。それがエスアンドカンパニーの始まりですね。
親父の言う通り、最初はお客さんがいないからヒマでヒマで(笑)。一日中、車雑誌ばかり読んでました。そこには都内や関東近郊のショップがたくさん載っていたんですよ。関西には、そういうドイツ車ショップがかなり少なかったし、当時は欧州車屋さんよりアメ車屋さんの方が幅を聞かせていたんです。だから、まずは1回、そういうお店に行ってみようと。で、あちこち回ってみて、自分なりに「こうしたほうがもっとお客さんが来るのに」というのが見えて……という感じで、今に至ります。
それが32歳の頃です。
2/2