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「タレントとしての賞味期限は最初からわかっていた」



6年間ホストを続けたのち、2005年3月に引退。城咲さんはホストを辞めたあと、学生街で定食店をやろうと思っていた。

「高田馬場で物件も見てましたからね。ひとつは話題作りのためだったけど、自分の原点に帰りたくなったんですよ」。

結局、引退後は元カリスマホストのタレントとして脚光を浴びることになった。


「芸能界に入ったときも、バラエティ番組でホストの話題が一周したら落ち着くだろうなと。自分の賞味期限は持って2、3年だとわかってたんです。

案の定、数年したら露出は激減して……。でも、来る仕事は断らなかったので、サスペンスの死体役もやりました。ありとあらゆる死に方をしましたよ(笑)」。



目減りしていく預金残高に焦りも感じ、断捨離も兼ねて引っ越したこともあったという。

「芸能界の若手の子たちと飲みに行くことも多かったので、どんどんお金が減っていきました。僕自身は板橋でホッピーを飲んで満足できるんだけど、“元ホスト・城咲 仁”のイメージがついて回るから困る。生活水準を下げたくても下げられないんです。

だけど、いちばん仕事がなかった頃には、家賃30万の部屋を引き払って家賃6万弱の家に引っ越しました。2日でソファーにカビが生えるようなジメッとしたところでしたが」。

芸能界での低迷期、ある舞台への出演が城咲さんを変えたという。

「坂上 忍さん脚本の舞台に、投資に失敗して全財産を取られる役柄で出演したんです。坂上さんに舞台の稽古をつけてもらっているとき、みんなの前で『いつまで格好つけてんだ、仕事ねえことを認めろ、ばかやろう!』と怒鳴られたんですよ。そう言われて、ようやく肩の荷が下りたように自分自身と向き合えたんです」。

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