「セカンドキャリアのリアル」とは…… 歌舞伎町のナンバーワンホストとして一世を風靡した城咲 仁さん。引退後はテレビショッピングのバイヤー兼実演販売士としてキャリアを築きながら、現在また新たな挑戦をしている。
それが父親が営む中華料理店「丸鶴」である。
店を手伝いながらも「継いだワケではない」という城咲さんにお話を伺った。
【写真16点】「元No.1カリスマホスト城咲 仁が“チャーハン修行”に打ち込んだ理由」を写真でチェック 話を聞いたのはこの人!
城崎仁(しろさき じん)●1977年生まれ、東京都板橋区出身。1999年から6年間、新宿区歌舞伎町にある高級クラブ「愛」でホストを務める。入社から2カ月でトップとなり、その後5年間ナンバーワンの座を獲得。その後、タレントとして活動し、テレビショッピングの実演販売でも最高売上1日に2億5000万を達成。ダイエットインストラクター、スーパーフードマイスター、薬膳インストラクター、雑穀マイスター、ソイフードマイスター、毛髪診断士、スキンケアアドバイザーの資格を持つ。父親の営む、行列の絶えない町中華「丸鶴」の味の継承、店の存続のためにも奔走している。
自立心の強い子供から、歌舞伎町のホストへ
東京都板橋区で産声を上げた城咲さん。両親は中華料理店「丸鶴」を営んでいたため、ひとりっ子の彼は子供の頃から自分のことは何でもこなしたという。
「灯りの消えた家に帰って自分で風呂を沸かして、ご飯は丸鶴に食べに行って、学校の準備をする毎日でした。風邪ひいたときでも自分でおかゆを作ってたし、3歳の頃から包丁を握ってたみたいです。寂しいというより、両親が朝から晩まで忙しくしてたので自分でできることは自分でやるという感じでした」。
高校を卒業すると父親から店を継ぐよういわれた。一度は店に立ったものの、半年後「 やっぱりやりたいこととは違う」と家を飛び出したという。
「当時は社会に出たかったし、両親が苦労する姿も見てきたので、この先自分の子供には店を継がせたくないという思いもありました。家を飛び出して、しばらくはバーテンダーのバイトやバンド活動をしていました」。
そんな城咲さんの転機となったのは友人の不幸だった。
「一緒にバンドをやっていた友人が、自殺しちゃったんですよ。それで仕事もバンドも手につかなくなって、実家に戻って酒浸りの毎日でしたね。
だけどある日、親父に『お前、腐ったな』と言われたんです。そのひと言がきっかけで、なんとか立ち直ろうと、以前一度行ったことのある『クラブ愛』に行ってたんです。面接を受けるつもりが、たまたま成人式のスーツを着てたので、人手が足らないから手伝うことになって……気付いたら働くことになっていました」。
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