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登山家 野口 健さん●1973年生まれ。51歳。16歳で欧州最高峰モンブランを制覇し、25歳で七大陸最高峰登頂を達成。以降、清掃登山に注力し、エベレストや富士山などで展開。ほか、シェルパ基金、ヒマラヤでの学校建設など多くの活動に尽力する。

登山家 野口 健さん●1973年生まれ。51歳。16歳で欧州最高峰モンブランを制覇し、25歳で七大陸最高峰登頂を達成。以降、清掃登山に注力し、エベレストや富士山などで展開。ほか、シェルパ基金、ヒマラヤでの学校建設など多くの活動に尽力する。


ーー自分と同じく山を登る人だから、もし最期が来たら、そのあとのことは絵子さんに託した?

 15歳の絵子とキリマンジャロ(タンザニアの5895m峰)を登ってから僕らの関係性は変わっていきました。登りたいと告げられたのは小学4年生。

以来一緒にトレーニングを行い、10時間級の縦走をしたり、ヒマラヤでのトレッキングも経験しました。いろいろな山でふたり合宿のような時間を多く過ごしたことで、特別な信頼関係を築けましたね。

絵子 本番では猛吹雪に遭い、山頂まで1時間のところで小休止をすると、父に「どうする?」と聞かれたんです。行くか撤退かの判断を委ねてくれたのは濃密な準備期間をともに過ごせたからなんだと思います。

 絵子は「行く」と言いました。状況は厳しいけれど、できなくもない。本当にギリギリ。ただこれ以上風が強くなると飛ばされるリスクが高まると感じたので、絵子は本当に頑張りました。

頂上では感情が溢れて涙するほどでしたから。でも泣いている暇はないんです。早く写真を撮らなくては、撮ったら降りなくてはという状況で、5分もいませんでした。

帰りも長く険しく、厳しい道のり。それでも無事に帰ってこられたのは「ミレー」のダウンジャケットがあったから。これはまじめな話で、過酷な状況下で山に集中できるのは、着ているウェアが信頼のおけるクオリティを持っているからなんです。

登山家見習い 野口絵子さん●2004年生まれ。20歳。9歳で父と登った八ヶ岳で冬山登山デビュー。翌年には天狗岳で人生初の頂上登山を経験。中学3年生でヒマラヤデビューし、卒業後の夏にキリマンジャロ登頂。現在は大学生活を送りながら登山を楽しんでいる。

登山家見習い 野口絵子さん●2004年生まれ。20歳。9歳で父と登った八ヶ岳で冬山登山デビュー。翌年には天狗岳で人生初の頂上登山を経験。中学3年生でヒマラヤデビューし、卒業後の夏にキリマンジャロ登頂。現在は大学生活を送りながら登山を楽しんでいる。


ーーそうしてアフリカ大陸の最高峰登頂を共有したから、一般的な親子とは異なる関係性が生まれたんですね。

 去年ヒマラヤへ行ったときには、「お父さんというより戦友のよう」なんて言われました(笑)。

絵子 長年通っていたヒマラヤの話を記憶をたどりながらしてくれたんです。過去の話を聞きながら目の前に広がる風景を見ていると、ふと父の思い出を共有している感覚になって。

そして「私と一緒に登ることで父の中に新しいヒマラヤが刻まれるのかな」と考えたときに「私たちの関係性って何だろう」と。

普段は別々に過ごすことが多いけど、「あの山に登りたい」という目標を共有して歩み、山で身の危険を感じたら互いを守る気持ちを強く持っている。それって戦友みたいだなって思ったんです。

 山と真剣に向き合っているとそういう感覚になるんです。仲間と一緒に目標を決め、頂を踏むためにトレーニングを積む。そして命を懸けて挑む。フラットな関係性が生まれるんです。

ーー山を介して特別な関係性を築いているのですね。そんなふたりが今後挑戦したいこととは何でしょうか?

絵子 普段は楽しく山と向き合っているんですが、たまに刺激が欲しくなるというか。難度の高い山に登ってみたい気持ちはあるので、また目指すような気がしています。いつか7000mに挑んでみたいですね。

 そのときはきっとお呼びがかかるでしょう。全力でサポートしたいですね。一方、自分事で意識しているのは、これまでやってきたことの継続です。手掛けている活動を最後まできちんとやり抜く。それがこれからの僕の挑戦ですね。


[問い合わせ]
ミレー・マウンテン・グループ・ジャパン
050-3198-9161
millet.jp

HIRO KIMURA(W)=写真 松平浩市=スタイリング 小山内 隆=文

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