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仮死状態で生まれ学校にも通えず、親孝行で消防士に

地元・広島県呉市で1991年から23年間、消防士としての経験を積んできた野村さん。レスキュー隊としても災害現場で数多く救助活動をしてきたが、この仕事に就いたのは自身の生い立ちも関係している。

野村さんは仮死状態で生まれ、身体も弱く、学校にもまともに通えなかったという。

「僕は生まれてから70秒間、血が巡らず、息もしていない状態でした。その後遺症で発達にも障害があり、学生時代は同級生に笑われ、馬鹿にされ続けました。成長するにつれ、歩くのも困難になり、中学時代はほとんど入院していて、学校は半分行ってないようなもの。高校もかろうじて定時制に進学しました。

母親はこんな僕を産んだ自分を責めていました。世間からの目もあって、当時から何か見返したいという気持ちがありましたね」。




子供の頃から芸能界に興味があったという野村さん。実は高校時代にスカウトされ、東京でタレント活動をしていた。そんな彼が消防士を目指すキッカケとなったのは、病床の父親の遺言だった。

「高校1年生のときに2度目の足の手術をし、毎日リハビリと筋トレをこなして、なんとか人並みの人体機能には回復していました。父が倒れたのは3年生のとき。そこで『警察官や消防官の道に行ってほしい』と遺言のように言われました」。

消防士になりたての野村さん、20歳の頃?

消防士時代、29歳頃の野村さん。


その言葉を胸に地元の広島へ戻ったが、当初は字も読めない、計算もできない状況だったという。独学で猛勉強したすえ、警察官に消防官、刑務官、海上保安学校と、ひと通りの採用試験を受け、見事にすべて合格。両親の近くにいるため、転勤のない消防士を選んだ。

学業はもちろん、人並み以上の運動力が必要とされる消防士になるには、血の滲むような努力をしたことだろう。


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