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福島県いわき市で生まれ育った高橋さんは当時、地元のタウン誌のカメラマンとして働いていた。
地震が起きたのは14時46分。いわき駅周辺で仕事を終え、市内の内陸部にある自宅へ車で帰宅しているところだった。そこへ震度6弱という強烈な揺れが約3分間も続いたのだ。
トラックが横転しそうになるほど地面は左右に揺れ、コンクリートは盛り上がり、稲妻が走ったように亀裂が入った。その光景はまるで、「日本は沈没するのではないか」と思わされるほどであった。
地震が収まり、車内でラジオをつけると、すでに大津波警報が流れていた。
「もともと東北は地震が多いんです。だから津波警報もよくあるんですけど、これまでは”津波”といっても20〜30センチ程度の小さなものでした。このときも津波警報は全然気にせず、海岸の様子を撮影しようと海の方へと引き返し、車で20分ほどの小名浜港へ向かいました」(高橋智裕さん、以下同)。
福島県最大の港湾である小名浜港は、港と内陸部を連絡するトンネルがある。このトンネルによって内陸部から海は見えない。
「トンネルを抜けてまず目にしたのは、道の真ん中に木製の簡易トイレが流れ着いていた光景です。港に良くある大きなバケツも散乱していて、すでに第1波が到達したあとだとわかりました」。
第2波が押し寄せてきたのは、海辺の写真を撮り終え、街の様子を撮影していた最中のことだった。港から街に勢い良く水が流れ込んでくるのを見て、身の危険を感じた高橋さんは慌ててシャッターを切り、すぐに車で走り出した。
「津波って単に大きい“波”だと思われがちですが、全然違うんです。海が膨張して巨大な水の塊が一気に押し寄せる、それが津波です。
このときは建物1階ほどの高さまでありましたが、車に乗っていたので危機一髪、なんとか逃げ切りました。第2波が落ち着いたのを見て、『2度も大きい津波が来たから、さすがにもう来ないよな』と再び港の写真を撮り続けました。まさか、また巨大な津波がやってくるなんて考えもしませんでした……」。
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