7月9日(月)
明け方 国道261号通行止め解除 片付けの手伝いをし、一度自宅に帰った小笠原さんは、翌朝に再びリポーターとして地元へ戻り、被災地の取材をした。
「現場のリポーターとして、被災地の状況とともに、実家や生まれ育った街が浸水したことを伝えました。インタビューするのはもちろん地元の顔見知りの方ばかり。どういう気持ちでマイクを向けたらいいんだろうとすごく悩みました」。
涙ながらに話す地元の人の姿に、感情を押し殺し、自身は“伝える側の人間”として涙を堪えたという。
小笠原さんはこの年の春から両親のいる島根県に戻ったが、当時を振り返ってこう念を押す。
「慣れ親しんだ地域だからこそ、『まだ大丈夫』と思ってしまう人って多いんです。まずは状況を聞いて、その自治体の情報などをチェックし、共有してあげることが重要です」。
◇
まずは命の確保が最優先。だが水害は、ここからが戦いの始まりだともいう。次回は、被害の全容と真夏の復興作業の厳しさについて教えていただこう。