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事故で失われた記憶をカップラーメンが呼び戻す


大和さんが「一日一麺」を欠かさなくなるほど袋麺に夢中になるきっかけは、高校3年生のころ。

バイク事故を起こして生死を彷徨う大怪我を負うと同時に、自分の名前を忘れるほど重度の記憶喪失を経験したところまで遡る。

「ひどい怪我で、記憶が戻らないのもあって、3カ月ほど入院したんです」(大和イチロウさん、以下同)。



「高校3年生って食べ盛りですよね。となると、入院先の病院食だけでは、量が足りなかったらしいんですよ。そこで看護士さんが『とりあえずカップ麺を食べさせてみよう』と。そしたら僕が、すごく美味しそうに食べていたらしいんです」。

カップ麺やインスタントラーメンは、子供でも作れる手軽さがウリ。思えば、両親が共働きだった子供時代から「インスタントラーメンをよく食べていた」という記憶が呼び戻されたという。

「子供のころに食べていたカップ麺と、入院中に食べていた味が結びついて、記憶が徐々に引き出されていったんです。ただ、今でも高校時代の記憶だけすっぽり抜け落ちたままなんですけどね」。

袋麺のパッケージを備忘録としてファイリングしている。

袋麺のパッケージを備忘録としてファイリングしている。


というのも、時代は1980年代後半。カップ麺やインスタントラーメンの“新しい味”が一気に増えていった時季だ。

「それまでは醤油・味噌・塩といったスタンダートな袋麺と、現在までロングセラーになっている『チキンラーメン』や『わかめラーメン』くらいしか発売されていなかった。

でも、入院先の売店で食べていたのは新しい味が多く、中には期間限定の味も多かったんです」。

パッケージの変遷を比較するのも面白い。

パッケージの変遷を比較するのも面白い。


「要するに、記憶を失う前の同時期に食べていたインスタントラーメンは、期間限定だったり販売終了になったりするものが多かった。僕にとって『2度と出会えない味(=記憶を取り戻せない)』になってしまったというわけです」。

退院後、19歳で大学に入学。それ以降は日本全国を旅してご当地モノを食べあさり、当時の味を求めるとともに、インスタントラーメンの奥深さにハマっていく。

「大学のころは、月1回くらいのペースで全国各地を巡ってました。当時はインターネットもありませんから、自分の足で探すしか未知の味に出会う術がなかった。

だから、青春18きっぷを利用したり、大事故を起こしたにも関わらず、懲りずにバイクで周ったり……。地元のスーパーを中心に、しらみつぶしにご当地のインスタントラーメンを食べましたね。今もまだ高校時代に食べた味を探してるようなところはあります」。


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