トリプルクラウンのアートにも時代の変化が
「1983年のトリプルクラウン第1回大会から2015年までアートディレクターを務めたよ。退任しても注視し続けている。最近は、デザインチームが依頼するアーティストが本土のアーティストばかりになってきて、ハワイのアーティストではないことが多いんだ。
もうひとつ変わったのは、デジタルが登場したこと。以前は写真と文字だけだったけれど、デジタルが登場して変わっていった。昔はノースショア沿いに何千枚ものポスターを張って、みんなそれを収集していた。
でも今は、すべてがスマホで見られるので、もうポスターは作らない。一般的な広告のようにスマホで見られるようになった。逆に、以前作ったポスターはヴィンテージとして稀少でもあり、先日行われたハワイのヴィンテージイベント“ウィキ・ウィキ・ヴィンテージ・コレクタブルズ&ハワイアナ・ショー”では以前作ったポスターがアートとしてたくさん売れてびっくりしたんだよ」。
サンセットビーチから発信し続けてきた
アトリエは、ビーチまで数十メートル、サンセットビーチにほど近い、ノースショアを走る大通りのカメハメハハイウェイから海側に入った閑静な住宅街に。
「サンセットビーチがずっとお気に入りなんだ。私はホノルルで育ち、カラニ高校卒業後、ノースショアに引っ越した。最初はハレイワ、それからカウェラ湾、ラニアケア、どこに住んでいてもサンセットビーチでよくサーフィンをしていたから、やっぱりサンセット・ビーチに住みたいと思ったんだ。
それで、ビーチのいちばん端の家から一軒ずつドアをノックして、『貸し部屋かスタジオはありますか』と聞いて歩いた。1970年代のことだから、すごく安かった。
昔は私道で、どこも小さな小さな家だったんだ。そして、この家に来てドアをノックしたら、男の人が出てきて、本土に戻ろうと思っているところだからと、持ち主の電話番号を教えてくれた。そこは日本人の家族のサマーハウスだったんだよ」。
「彼らは夏になるとここに泊まりに来てサーフィンをしていたんだけれど冬は波が大きくて、ビーチは荒れすぎているから、あまり来ないようで、月200ドルで貸してくれた。
それで10年間借りたんだけれど、最後にオーナーが『この家は娘に譲るつもりだったけど、ノースショアは好きじゃないみたいだから買わないか』と言ってきたので買ったんだ。
だから、この家にはもう45年以上住んでいる。小さなビーチコテージだったから改装して広くした。本当にサンセットビーチが好きなんだ」。
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