OCEANS

SHARE

夕方4時には閉店…ラーメン好きも困る街の現実が?

(筆者撮影)

(筆者撮影)


喜多方がラーメンの街にしようと「蔵のまち喜多方老麺会」を作ったのは1987年のことだった。

早くからご当地ラーメンとして売り出したこともあり、三大ご当地ラーメンの1つとなったが、そこで歴史が止まってしまった。

「観光客の皆さんは昼にラーメンを食べに来てくれますが、夜は会津など他のエリアに泊まりに行ってしまいます。

喜多方はラーメンを食べるだけの街になってしまっているんです。しかし、そこに危機感を抱かずここまで来てしまった。これを機会に変えていくしかないと考えています」(江花さん)

(筆者撮影)

(筆者撮影)


筆者は今回、都内から新幹線と在来線で喜多方に向かった。会津若松駅に昼前に到着し喜多方行きの磐越西線に乗ると、車内のお客さんはみんなこれから食べに行くラーメンの話をしていた。

しかし、喜多方で取材が終わって夕方4時頃街を歩いてみると、ほとんどのラーメン店は既にシャッターを下ろしていて、街には人がまばらだった。パンフレットを見ながらラーメンを食べ歩いている観光客が、閉店してしまった店の前で困っている姿が印象的だった。パンフレットに載っている時間どおりに営業していないのである。

その夜、地酒の飲めるお店で宴会をし、ホテルまで帰ろうとタクシーを呼ぼうとすると、夜はタクシーが走っていないという。仕方なく雨の中、濡れながらホテルまで歩いて帰ったのである。

喜多方ラーメン衰退の背景には、もっと大きな、町全体が抱える課題がある(筆者撮影)

喜多方ラーメン衰退の背景には、もっと大きな、町全体が抱える課題がある(筆者撮影)


ホテルに戻ると「夕方以降はタクシーの配車予約が受けられないのでご注意ください」という貼り紙が貼ってあった。これが今の喜多方の状況なのである。


4/6

次の記事を読み込んでいます。