海でボールを追い続け少年はやがてプロへ
ビーチサッカー選手 茂怜羅オズ(もれいらおず)さん●1986年、ブラジル生まれ。2017年から、Jリーグのクラブとしてビーチサッカーに初進出した東京ヴェルディBS所属。代表兼選手を務める。日本代表でも選手と監督を兼任。19年に開催されたFIFAワールドカップのパラグアイ大会では最優秀選手に輝いた。
有意義なサッカー人生も、海は茂怜羅さんに与えてくれた。
友達が集い、そこにボールがあればサッカーが始まるのがブラジルという国だ。そのらしさがビーチにもあったのは先述したとおり。
茂怜羅さんも幼少期からボールを蹴り、6歳で地元のビーチサッカースクールに所属。毎日練習し、ときにはプロの試合を観戦に行ったりと、ビーチサッカー漬けの日々を送っていた。
一方、その頃は11人制のサッカーもしており、14歳のときには名門クラブ、CRヴァスコ・ダ・ガマの下部組織から声がかかった。
CRヴァスコ・ダ・ガマは南米王者にもなった強豪だ。所属する若手は将来を嘱望される精鋭ばかり。実際、2歳下にはコウチーニョがいた。のちに英国プレミアリーグのリヴァプールFCや、ドイツ・ブンデスリーガのFCバイエルン・ミュンヘンなど世界的なクラブに所属し、ブラジル代表としてもプレーした選手である。
多くの選手は彼が勝ち得たような欧州での成功を夢見て練習に励むのだが、茂怜羅さんは2年所属しただけで退団。ビーチサッカーを選び、16歳でプロとなった。
「家族をはじめ周囲からは反対されました。プロサッカー選手として生きていくほうが将来を描きやすいですから。
確かにビーチサッカーはブラジルが発祥の地。国内にはプロリーグがあり、試合には5000人ほどの観客が詰めかける人気スポーツです。とはいえ私がプロとなった当時、十分なサラリーをもらえている選手はわずか。大半は試合に出たら出場給をもらえる程度で、ほかに仕事をしながらプレーしていました。
それでもプロのビーチサッカー選手の道を選んだのは、ビーチサッカーが好きだという気持ちに素直でいたかったからです。将来のこと、サラリーのことは考えていませんでしたね。あったのは“この世界で勝負してやる”という強い思いだけでした」。
大観客の中で初めてプレーしたときは全身が震えた。それでもすぐに頭角を現し、全国大会を制す原動力になった存在は国外にも知られることに。プロとして4年ほどプレーした20歳のときにはドイツのチームからオファーが届く。
海外移籍を視野に入れていたタイミングでもあり、ブラジルを離れることを決意した。
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