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夢は世界的な選手に。日本での挑戦が始まる

海外で新しい挑戦をしたい。その夢をドイツに渡ることでかなえたものの、最も寂しく感じたのが地元の海で過ごす日々との別れだった。海での楽しい時間は簡単には持てないだろう。そう覚悟を決めての渡独だったのである。

だからドイツの生活中に沖縄を拠点とするレキオスFCから声がかかった際、既にそのチームでプレーしていた知人のブラジル人選手から「コパカパーナに似てきれいな海があるよ」と聞くと気持ちは大きく傾いた。

「来てみると本当に海がきれいで、チームメイトほか出会う人はみんな人が良く、寂しさやつらさを感じることはありませんでした。何に対しても新鮮な気持ちで向き合えて、それまで口にしたことのない生魚や納豆にもトライしましたし(笑)。

ただ、ビーチサッカーのレベルは低かったですね。足でボールを浮かすスコップという基本テクニックもできない状況でした。それでも日本の人には強い探究心があり、覚えるのも早い。一緒にプレーしているとみるみると上達していきました」。

日本へも夢を持ってやってきた。まずはチームで活躍し、世界的な選手に成長することだ。

「出発時に母には成功するまで帰らないと伝えたんです。ただビザや契約は1年。長くプレーするためには結果を出して次なる契約を勝ち取る必要がありました。復路のエアチケットもあったんです。

でも里心がついたり帰省のタイミングでチームから『いらない』と言われるのが怖くて4年間は帰りませんでした」。

その後、途中で拠点を沖縄から東京に移すレキオスFCで8年プレー。その間に安全さや便利さ、誰もが病院で診察を受けられる社会制度などに魅了され、長く日本に住み続けたいと思うようになっていく。

そして帰化申請が認められ日本国籍を取得すると、すぐに日本代表に選出。FIFAビーチサッカーワールドカップには2013年のタヒチ大会での初出場以降、5大会連続で出場。21年には国際的な組織のビーチサッカーワールドワイド(BSWW)が選出する年間最優秀選手となり、見事に来日時の夢を実現した。


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