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人生の転機は東京で入会したダンススクール

富山県の旧新湊市で生まれ育ったパークさんは、成績は学年で常に10位以内と、ほどほどの優等生だった。

「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の人気コーナー「ダンス甲子園」を観てダンスを始めたのは小学6年生の頃である。



高校時代は自らを“富山のキムタク”と呼び、学校でも人気者だったというが、同時に都会への強い憧れも持っていた。

「大学進学を機に上京したのですが、格好良い人が多くて『東京には勝てないな』って思いましたね。それから雑誌で見たダンススクールに入って、踊りの師匠に出会ったんです」。

師匠とは、EXILEのHIROさんの弟分だったSHINSAKUさん。この出会いがパークさんの人生を変えた。



「師匠は事務所LDHの創業メンバーのひとりで、師匠のあとをついていくうちに芸能人と飲みに行く機会が増えていって、自分も華やかな世界の人間だと思ってましたね。その流れで大学を卒業する前から師匠のアシスタントになってました」。

芸能界に足を踏み入れ、演者としてダンスや芝居をするようになった。その頃、飲みの場でHIROさんに大ウケした踊りが、パークマンサーの始まりだったという。



「仲間内でおまえにぴったりだ、と勧められたのが『学校へ行こう!』のオーディションでした。『B-RAP HIGH SCHOOL』という新コーナーが始まったから受けてみなよって後押しされて行ったのです」。

見事、オーディションには合格。音楽ユニット「軟式globe」としてテレビ出演を果たした。


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