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津波で家ごと流され、川を逆流

当時の記憶を鮮明に残すため、被災後の入院中に描いた安倍さんのスケッチ(以下同)。

当時の記憶を鮮明に残すため、被災後に描いた安倍さんのスケッチ(以下同)。


1時間後、僕らの野蒜地区にも津波が到達しました。波がこっちに向かって来るのを目の当たりにして、何かを考える余裕などありませんでした。妻は自宅に、僕は道路の反対側にある事務所に駆け込みました。

事務所の中に入った途端、ものすごいスピードで波が押し寄せてきて、窓とかドアとか、ありとあらゆるところから水がどんどん入り込んできたんです。水はあっという間に1階の天井まできて、とにかく高いところへ逃げようと2階に上がりました。

その瞬間、「バーン!」という聞いたこともない轟音がしたんです。事務所の家屋ごと波に押し流されて、ブワッと浮いたんですよ。あのとき、体感では3メートルくらい浮いた感じだったかな。そのまま、鳴瀬川の支流・吉田川を逆流していきました。

事務所の家屋はぐるぐる回転し、窓の外を見たら瓦礫や流木が斜めになって流れていくんです。もう頭の中は真っ白。「これは本当に現実なのか?」ってフリーズした感じ。

でも次の瞬間、窓の向こうに自宅が見えたんです。僕らの自宅も家ごと流されていたんですね。その自宅2階のベランダにしゃがみ込んでいる妻が見えました。

事務所と自宅が津波に流された情景を描いたもの。ぶつかる瞬間に妻の手をとって引っ張った。

事務所と自宅が津波に流された情景を描いたもの。ぶつかる瞬間、咄嗟に妻の手をとって引っ張り上げた。


事務所と自宅は、津波に押し流されながら何度かガツンガツンとぶつかりました。

妻をこのまま死なせたくない。そう思って、ぶつかる瞬間に窓から身を乗り出し、「こっちへ来い!」と妻の手を掴んで事務所の方に引っ張り入れました。その直後に自宅は、轟々と音を立てて川に沈んでいきました。間一髪、妻を助けることができたんです。

橋に激突し大破。床1枚になった家屋

津波に流されるときに着用したイマーションスーツ。

津波に流されるときに着用したイマーションスーツ。


当時、僕は東京海洋大学の非常勤講師で、シーサバイバルを教えていたんです。だから、事務所にはイマーションスーツ(船外から脱出する際に使用する防寒・防水の救命胴衣)がたまたまあって、まずそれを妻に着せました。

上からライフジャケットも重ねてぐるぐる巻きにして、もし投げ出されても、浮いてさえいれば上空から発見してもらえるだろうと。

必死で板の上に登ろうとする安倍さん。

川に放り出され、必死で板の上に登ろうとする安倍さん。


自分もイマーションスーツを身につけようと半分まで着かけたとき、また「バーン!」という轟音がして記憶が一瞬飛びました。目を開けたら僕は川に落ちていて、近くを見渡すと妻が3メートル四方の床の上にうずくまっていたんです。

事務所の家屋がJR仙石線の橋に激突したようでした。壁と屋根が吹っ飛び、床板1枚だけになっていたんです。僕は必死に、その1枚の板にしがみつき、妻が僕の首根っこを掴んで引っ張り上げてくれました。


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