上が電話帳、下がスケジュール帳。レザーの経年変化とほつれたステッチが愛用ぶりを物語る。「エルメスといえばやはりこの色の、この革じゃないかな。迷わず選びました」と野口さん。
▶︎すべての写真を見る 80年代後半。スタイリストの野口強さんが20代のときに購入したという、大きめサイズの電話帳とスケジュール帳である。
「パリに通い始めた頃に、本店で買いました。“そろそろエルメス”という思いもなくはなかったけど、単純に欲しかったんですよ。
購入金額ですか? それは本当に覚えていないんです。ただ当時の自分にとってとても高い買い物だった、ということだけは強く覚えています」。
スマートフォンはおろか携帯電話も普及していない時代。その後、90年代に入ると、いわゆるガラケーが登場し始める。携帯電話とともにこの電話帳とスケジュール帳は、常に野口さんのそばにあった。
「そういえば当時よく『エルメスですね』と声をかけられました。ブランドロゴや派手なマークはないけれど、見る人が見ればわかるのかもしれません。
撮影のときも打ち合わせのときも、日中はずっとこの2冊だけを手に持って仕事をしていましたね。自分、バッグを持たないから」。
野口 強さん●大阪府生まれ。スタイリスト大久保篤志氏に師事したのち独立。雑誌、広告、俳優やアーティストなど幅広いフィールドでスタイリングを手掛けている。デニムブランド「マインデニム」のディレクターでもある。
確かにその言葉のとおり、ひと目見ればわかる使い込みの凄まじさ。「ずいぶん汚くなっちゃいましたよね」と野口さんは言う。
それでも持ち主の人となりを表すかけがえのないモノであり、そんなふうに使い込まれた道具だけが放つ独特のオーラを纏っている。つまり、美しいのだ。
「何しろモノとして使い勝手が良かったんです。そうじゃなければ十数年も使いませんよね」。
今、電話帳はスマホに変わり、スケジュールはマネージャーが管理してくれているという。それでもこの2冊は打ち捨てられることなく、今も野口さんの手元に確かに残っている。
「何となく持っていただけなんですよ。この電話帳のレフィルはもう販売されていないようですし、僕にとっては役目を終えたアイテム。
でもこうして今持っていても、全然古くないですよね。時代を感じさせない、普遍的な良さがある。エルメスの魅力はそこに尽きるんじゃないでしょうか」。