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インドでYouTubeの前身となるブログをスタート

インドの名物世界遺産、タージマハルにて。(写真提供=坪和寛久)

インドの名物世界遺産、タージマハルにて。(写真提供=坪和寛久)


勤務先となるインド第2の大都市、ムンバイに夜降り立った印象は「暗かった」という。

「オレンジ灯で、山奥のトンネルくらいの明るさなのに、人は東京の倍いる。匂いもクラクションも人の叫び声も、野犬も路上生活者も蠢いてました」。

現地で得た仕事は、日本人向けの不動産を扱う営業職。客は日本人だが同僚は皆インド人だった。

「仕事はほぼ英語なので、言いたいことを考えてしゃべって、通じない場合は表現を変えての繰り返しでした。半年くらいで何となくわかってきましたね」。
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「今日ヤバ」撮影後に一緒にランチ。(写真提供=坪和寛久)

「今日ヤバ」撮影後のランチ。(写真提供=坪和寛久)


給料は住宅と車の送迎がついて6万ルピー(当時約10万円)ほどだが、物価が安いため豪勢な暮らしができたという。そんな刺激的な日々の様子をブログにも綴っていた。

「インド行きが決まって、家族や友人へ向けて始めたんです。もともと面白いことを書いて発信するのは好きだったので。飲み会で先輩が『今日ヤバイ奴にあった』と話していたので、それがブログのタイトルになりました」。



そこから数年、暮らしにまつわる驚きや気付きを綴っていたが、写真では伝わらないインドの魅力を動画で表現したいと思うようになった。

「ブログに動画を載せようにもやり方がわからず、YouTubeにアップしてそのリンクを貼ればできると思って。再生回数は気にしてなかったけど、念のために銀行口座の登録をしておいたんです」。

ある日突然、銀行口座に舞い込んだ収益



2014年の暮れに動画を始め、ブログに合わせてYouTubeも更新していった。

「2017年の中頃だったか、ある日突然、銀行口座にGoogleから広告費が入っていたんです。そこから動画の可能性を感じましたね」。

仕事は並行していたが、営業がてらに撮影して、多いときでは週に5〜6回アップしていたという。それにしてもなぜ”屋台メシ”をテーマに選んだのか。

「調理風景や作る人の顔を見て、喧騒の中で知らないおじさんと話しながら食べるのが楽しかったんです。インド人は料理に対しての情熱がすごいんですよ。やたら無駄なプロセスも多いし(笑)。お腹を壊すより太りましたね。最高105kgまでいきました」。

出されたものは全ていただくのが坪和さんのポリシー。今回は、祖師ヶ谷大蔵にある人気店「マハリンガム」で本格的な南インド料理、ミールスを堪能。

出されたものはすべていただくのが坪和さんのポリシー。今回のインタビューでは、人気店「スリマンガラムA/C 祖師ヶ谷大蔵」で本格的な南インド料理、ミールスを堪能。


2018〜2019年頃にはYouTubeの収益が給料を上回るようになっていた。インドで2社目の会社にいた頃のことである。

「仕事を辞めようと思ったけど、インド人社長がそれを知って、就労ビザを出してもらう代わりにYouTubeの収益を折半することになって。後に日本で本を出したけど、その収益も折半。今思えば僕は優しすぎましたね(笑)」。
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日本にいた頃より収入は10倍アップ



インドに渡って不動産営業、Youtuberと異例の道を歩んでいった坪和さんだが、日本にいた頃と比べてどんな点に変化があったのだろうか。

「いちばん変化したのは収入でしょうか。もっとも再生回数が伸びていた頃で、日本の会社員時代の10倍ぐらいは年収がアップしました。今はそんなにないですけど。

ブログはやっておいて良かったです。アウトプットにはその倍くらいインプットが必要なので、ブログを発信することで情報収集の習慣が身につきましたから」。
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だいたい何でもOKなインド、日常のひとこま。

だいたい何でもOKなインド、日常のひとこま。(写真提供=坪和寛久)


もう一つは、マインドの変化だという。

「日本にいたときは、“ちゃんできないこと”を気にしていましたね。インドではみんな時間も守らないし、できないことがあってもOKって言うし、ちゃんとしてない(笑)。路上でも急に体重計を差し出してお金を取ろうとしたり、耳かきして銭稼いだり、何でもありなんだなと。

インドで自分は受け入れられたと感じました。生きているだけでいい、と自分のペースになれて、頭痛はすっかりなくなりました。

知らない環境に身を置くというのがエキサイティングで、日本で働いていた頃に比べて1000倍くらい楽しいです」。

海外勤務で広がった見聞・人脈

日本を紹介するイベントで剣道を披露した坪和さん達。

日本を紹介するイベントで剣道を披露した坪和さん。(写真提供=坪和寛久)


思わぬ副産物はほかにもあった。

「いわゆる5大商社や銀行員、メーカーなど、日本の駐在員と出会ったことで見聞も人脈も広がりました。とある大企業の会長が僕のYouTubeが好きで、わざわざ会いに来てくれたこともありました」。

当時はフットサルや剣道などのチームに入って、駐在員との交流を重ねて行った坪和さん。彼らとの出会いも影響してか、コロナ禍で2020年3月に帰国して以降、株式会社 坪和企画としてスパイス販売などの事業も手掛けている。

まるでインドに行ってから上昇気流に乗ったようだが、成功の秘訣はあるのだろうか。

打席に立ち続け、嫌なことがあってもラッキーと思える

前職から活かせたことは、「笑顔です」と坪和さん。「屋台を撮るときも、敵意がないよという意味でニコニコしてるんです」。

日本での社会人経験で活かせていることは、「笑顔です」と坪和さん。「屋台を撮るときも、敵意がないよという意味でニコニコしてるんです」。


「意識しているのは“打席に立ち続けること”。自分のやっていることなんて9割失敗で成功は1割。10回に1回しか成功しないけど、それを人の10倍やればその分だけ失敗も増えるけど、10倍良いことがくる。ブログも動画も継続でしたね。

あとは、嫌なことがあっても運が良いと思えるようになったことでしょうか。この心持ちは日本にいるときからあったけど、インドでよりその力がつきましたね」。

そんなポジティブマインドで邁進する坪和さんだが、すでにYouTubeの“その先”の展開を仕掛けているのだという。

「スリマンガラム」のオーナー、マハリンガムさんの名物チャイパフォーマンス。

「スリマンガラムA/C 祖師ヶ谷大蔵」のオーナー、マハリンガムさんの名物チャイパフォーマンス。


「YouTubeは今後も続けていきますけど、最近新たに『ミルデリ』というスタートアップ企業を日本で始めました。今はこの新たなチャレンジを日々楽しんでます。事業内容は……お楽しみに(笑)」。

その内容が気になるところだが、アナウンスの配信を楽しみにしようではないか。

(写真提供=坪和寛久)

(写真提供=坪和寛久)


最後になって、「実のところ、インド行きは“逃げ”でした」と語る坪和さん。

「ただ、逃げた先で頑張ればいいんですよ、そこもダメだったらまた次で頑張ればいいので」。

逃げた先がインドとはハードボイルドだが、坪和さんは計画性がなくとも異なる環境を楽しみ、行動を起こして功を奏した。今のキャリアに悶々としたら、未知の世界に飛び込んで人生を“アテに”いくのも悪くなさそうだ。

沼尾翔平=写真 池田裕美=取材・文 スリマンガラム=撮影協力

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