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つまりこの言葉は予測可能だから、その発話のエントロピーは限りなく低い。予測可能ということは、そのメッセージが含む「情報量が少ない」と言ってもいいだろう。低いエントロピーに発話の労力を費やす必要はない。

だからラーメン屋さんが第一声で「っしゃっせー」と簡略化した発音をすることは、エントロピーの観点から非常に理にかなっている。男子校の部活動で先輩に会った時に「こんにちは」とは言わず「ちわす」と縮めるのも同じ原理であろう。

エントロピーの法則に逆らう正当な理由

「ちょっと待て」と思った人もいるだろう。すべての食べもの屋で「っしゃっせー」と縮めるわけではない。あなたの通うラーメン屋はともかく、あたしの行きつけの高級フランス料理店ではしっかり「いらっしゃいませ」と発音するわ、と。

しかし、実はこちらも、これはこれで筋が通った話なのだ。高級フランス料理店でのそのようなお出迎えをするのは、「私は、このあいさつのエントロピーが低いにもかかわらず、しっかりと発音しています。つまり、エントロピーが低くても、エントロピーの法則に逆らってでもあなたには『いらっしゃいませ』と伝えたいという気持ちを持っています」ということを含意する。つまり、言外の意味として、「丁寧さ」が伝わるわけだ。

『フリースタイル言語学』(大和書房)

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また、エントロピーは例のアレとも関わってくる。先日、噂のアレをついに妻がやった。アレってあれよ。「アレしておいて」のことだ。夫婦の時間が長くなると起こると言われるこの伝説の現象。

これは夫婦の関係が成熟することで「アレ」のエントロピーが十分に下がったことにより、つまり「アレ」の意味が予測可能になったことにより、「アレしておいて」でも十分に伝わるようになるのだ。

とまぁ、エントロピーについて熱く語った後に、自分の寝室に戻ってみると、娘たちのおかげでエントロピーがすっかり増大していた。寝る前にエントロピーを少し減らしておかないと、すっきり寝られなさそうだ。

ともあれ、今夜は『孔雀王』の夢を見ながら、大日如来の力を借りて悪と戦うことにしよう。



川原 繁人 : 慶應義塾大学教授
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記事提供:東洋経済ONLINE

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