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2022.05.19

ライフ

次世代型テーマパーク「リトルプラネット」で働く看板娘が、幼稚園教員から転職していた


「弊社の看板娘」とは……

この取材を続けていると前職について「おお……」と思うことがたまにある。

しかし、今回は「おおおお……」だった。

向かったのはお台場。

向かったのはお台場。


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こちらの5階に「リトルプラネット ダイバーシティ東京 プラザ」が入っている。

「遊びが学びに変わる」をコンセプトにした、子供の創造力を鍛える次世代型テーマパーク。

「遊びが学びに変わる」をコンセプトにした、子供の創造力を鍛える次世代型テーマパーク。


すでに看板娘の後ろ姿が見えていますが、さっそくご登場いただきましょう。

「よろしくお願いします」。

「よろしくお願いします」。


リトルプラネットを運営する株式会社プレースホルダの社員、一色沙織さん。隣にいるのは公式キャラクターの「モグー」です。

沙織さんは東京・渋谷区生まれ。活発で歌うのが大好きな子供だったという。

「耳に入ってくるCMソングや、そのとき流行っていた曲を家でずっと歌っていました。音楽好きな家族だったので、誰かが歌っているとすぐにハモったりして」。

4歳の頃からピアノを習い始めたが、ずっと印象に残っていた曲がある。保育園のお昼寝タイムに流れたリストの『愛の夢 第3番』だ。

「子供ながらに、ああきれいな曲だなあって。のちに曲名もわかったんですが、いつかこの曲を弾けたらいいなと思っていました」。

初めてのアルバイトは高校時代。郵便局で年賀状の仕分け業務だった。しかし、長く続けたのは児童教育系の大学に入学してから4年間働いた地元のイタリアンレストラン。

左が当時の沙織さん。

左が当時の沙織さん。


「ここで社会人としてのマナーや接客のノウハウを学びました。挨拶でイタリア語を喋るのが楽しかったせいか、『ボンジョルノ!』という声が大きすぎたみたいで、入店した常連さんから『あっちのエレベーターホールまで沙織さんの声聞こえたよ』と言われました」。

児童教育系の大学に進学したのには理由がある。

「じつは、私が生まれて2カ月の頃に母が乳がんで亡くなったんです。母親の存在を知らずに育ったので、小さい頃から幼稚園の先生や保育士になりたいと思うようになりました。悲しみ、苦しみ、喜び、すべてを通して母親の存在がいかに大事かを伝えたかったんですよね」。

大学卒業後は都内の幼稚園で勤務。7年間働いて、保護者からも絶大な信頼を受ける。

「18時まで延長保育のある園で、職員室がなかったので事務作業中も子どもたちが次々と遊びに来るんです。保護者の方が迎えに来たら今日の出来事を伝えます。

18時からは受け持っている36人分のワークの丸付けやコメント書き。さらに、作品展や運動会とかの園行事が入るとそれの準備。手を抜きたくなかったので大変でした」。

この仕事は大好きだけど、ずっとは続けられないなと考えていた沙織さんに転機が訪れる。

「知人がプレースホルダの代表と知り合いで、『リトルプラネット』の立ち上げにあたって子供の扱いが上手くてホスピタリティが高い人を探してるけど、やってみない?と声をかけてくれたんです。会社自体は2016年の創業で、私は2017年に入社しました」。

モグーが出迎えてくれる館内。

モグーが出迎えてくれる館内。



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