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2022.05.12

ライフ

パーソナルジム「BEYOND」で働く看板娘が、野球漬けの青春時代を送っていた


「弊社の看板娘」とは……

先週に引き続き、筋肉編をお送りする。

舞台はパーソナルジムの「BEYOND 武蔵小杉店」だ。

▶︎この記事の画像ギャラリーを見る

新丸子駅から徒歩2分、武蔵小杉駅から徒歩5分。

新丸子駅から徒歩2分、武蔵小杉駅から徒歩5分。


ジムの前には目を引く看板があった。

面白いトレーナーとは?

面白いトレーナーとは?


中に入ると看板娘の姿が。

右手にダンベル。

右手にダンベル。


というわけで、さっそくご登場いただきましょう。

「よろしくお願いします」。

「よろしくお願いします」。


こちらはエリアマネージャーの山内未月さん。現在、ここ武蔵小杉店のほかに上大岡店、湘南台店を担当しており、6月以降にオープンする2店舗も担当する予定だという。

生まれ育ったのは青森市で、兄の影響で小学校3年生から野球を始めた。

「青森は女子だけのクラブチームがないので、兄が入っているチームで男の子たちと一緒にやっていました。ポジションはライトかファースト。県の女子選抜チームではキャプテンでした」。

小学生時代の未月さん。

小学生時代の未月さん。


以来、高校を卒業するまで野球漬けの日々を送る。

「中高の思春期って、放課後はみんな遊びに行くじゃないですか。でも、私は本当に野球だけ。プリクラを撮ったり、カラオケに行ったりというのはまったくありませんでした。

練習が終わって家に帰ってきたあとも、ひとりでランニングをしたり、素振りをしたり。負けず嫌いなので、とにかく試合に勝ちたかったんですね」。

野球に打ち込んでいた高校時代。

野球に打ち込んでいた高校時代。


高校卒業後は茨城県にある救急救命士の専門学校に進学。その理由がまた泣ける。

「私が小学校に入る前に両親が離婚していて、お母さんが兄と弟を含む3人の子供を育ててくれたんです。3人全員に野球をやらせてくれて、お金もすごくかかったはず。

部活では友達の保護者にもお世話になりました。この人たちに恩返しができる仕事に就きたいと思って、まずは救急救命士の資格を取ってから消防士になろうと思ったんです」。

しかし、専門学校を卒業する半年前にお母さんがくも膜下出血で倒れる。未月さんはゆくゆくはお母さんが自宅で営んでいたエステサロンを手伝えるようにと、青森県のエステ会社に就職した。

「エステの会社に入ったとき、新人賞と全国のスタッフの中で売上1位を獲得するという目標を決めたんです。そのふたつを実際に達成したので、独立してフリーランスのエステティシャンになりました。同時に筋トレも好きだったことから、パーソナルトレーナーの勉強も始めました」。

エステのお客さん相手にパーソナルトレーニングをしている写真をインスタに上げ続けたところ、BEYONDのオーナーの目に止まり、スカウトされて現在に至るというわけだ。

さて、ジム内を案内してもらいましょう。


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