「モヤモヤ り〜だぁ〜ず」とは……
本日の相談者:38歳、システムエンジニア
「この1カ月で立て続けに部下が”うつ病”と診断され、休職となってしまいました。コロナ禍でもできるだけ部下に気配りしていたつもりだったのですが、まったく見抜くことができませんでした。管理職の私に何が足りなかったのでしょうか」
| アドバイスしてくれるのは…… そわっち(曽和利光さん) 1971年生まれ。人材研究所代表取締役社長。リクルート、ライフネット生命保険、オープンハウスにて人事・採用部門の責任者を務めてきた、その道のプロフェッショナル。著書に『人事と採用のセオリー』(ソシム)、『日本のGPAトップ大学生たちはなぜ就活で楽勝できるのか?』(共著・星海社新書)ほか。 |
うつ「状態」とうつ「病」
まず、医者でもない人間が誰かをうつ「病」だと判断することはできません。そのこと自体は気にしても仕方がないと思います。
ただ、ひとつ言えることがあるとすれば、私たちは病気でなくとも強い精神的ショックを受ける状況に陥れば、気持ちが落ち込んでしまい、うつ「状態」にはなります。私もよく、うつ状態になります。
一方、うつ「病」では、そういう明確な生活上の原因がなくても、脳やその他の内臓などの原因から強いうつ「状態」になることがあるそうです。
ところが、誰かがうつ「状態」になっていると、本人や周囲の人は「何か生活上に原因があるはず」と考えがちで、とても辛いですよね。
人はすぐに犯人探しをしたくなる
特に物事の原因を、すぐに自分に帰属させてしまうタイプの人にとっては、特に辛いのではないかと思います。
本来、物事の因果関係などは曖昧なものです。誰かがうつ病になるのは、環境要因かもしれませんし、その人の個人要因かもしれません。
しかし、人間の思考は何かを特定の原因にすることで、どうしても理屈として納得したいようです。物事がそうなった原因=犯人探しをしたくなるのです。
そして、原因が自分にあると考えてしまいがちな人は、「自分のせいで、あの人が病気になってしまった」と苦しむわけです。
自分を責めても解決策は見つからない
しかし、誰かうつ病になる原因など、そんなに簡単なことではありません。
いろいろなことが複合的に折り重なって最終的に発症するのであり、よほどのことがない限り誰かひとりの行動が原因になるものはありません。
真の原因ではないものをいくら見つめても、解決策がわからないのは当然です。部下がうつ病になったことに責任を感じる相談者は、とても責任感が強い良い上司だと思います。
ただ、問題解決という観点からは、自分ばかり責めていてもうまくはいかないでしょう。
一旦「他責」になって考えてみてはどうか
相談者にもし足りないものがあるとすれば、それは一旦「他責」になってみることではないでしょうか。上述のとおり、組織内での因果関係は複雑です。
ひとつの物事がひとつの原因から起こるということはあまりなく、いろいろな原因がひとつの物事を生じさせます。それをきちんと冷静に客観的に認識することができなければ、部下がうつ病になってしまうことを防ぐことはできないでしょう。
責任感ゆえに部下のうつ病を自分以外のせいにすることは心情的にしにくいかもしれないのですが、厳しいことを申し上げると、それもひとつの逃げかもしれません。認めたくない現実も見据えるのが、本当の管理職の責任です。
見えないところに真の原因があるかもしれない
自分のことは相当振り返ったでしょうから、自分「以外」の原因を考えてみてはどうでしょうか。
そもそも職場や仕事ではなく、本人のプライベートの問題(知人の不幸や失恋など)や身体的問題(先天的な病気や生活習慣病など)かもしれません。
以前ある会社で社員のうつ病の原因を検討した際、半分以上のケースが会社以外の原因と思われるものでした。また、会社原因でも、管理職や同僚個々人の言動でなく、仕事と本人の能力の不一致や、職場の同僚との性格の相性の悪さも考えられます。
特にこのような「関係性」や「仕組み」は物理的には見えないので、心を無にして眺めなければ発見できません。
「関係性」や「仕組み」の整備が管理職の仕事
実はこういうふだんは見えない「関係性」や「仕組み」について配慮を行い、それを適切なものに整備していくことこそが、職場を俯瞰する立場にある管理職がすべき仕事なのではないでしょうか。
やさしい人ほど、原因を「個」に求めて、「個」に対して傾聴したりアドバイスしたり支えたりすればよいとなりがちですが、もし「関係性」や「仕組み」に原因があるのであれば、「個」への働きかけは対症療法にすぎません。
部下にうつ病が続々と出るということであれば、「関係性」や「仕組み」にメスを入れて、改善していかなければ、いつまでたってもうつ病の根本原因は去ることはありません。そのためには一度「自責」という名の逃走を封じる必要があるのではないでしょうか。