本作を通じて大好きな沖縄について知るいい機会になった
旅行といえば、主演映画『ミラクルシティコザ』の出演オファーは、久しぶりに堪能していた旅の途中に届いたそう。
「海辺を散歩しているときに、マネージャーから電話がかかってきて、その場で簡単なストーリーを聞いてピンときました。
話も面白くて斬新でしたし、1970年代と現在の沖縄県沖縄市のコザという街を舞台に描いたタイムスリップコメディということで、当時の沖縄のことに詳しくない僕でも、電話の会話だけでストーリーがじんわりと染み込んでいくように感じたので、やらせていただくことにしました」。
物語は現代のコザから始まる。だらだらと暮らしていた翔太には、一風変わった祖父・ハルがいた。ハルは、ベトナム戦争特需に沸く’70年代のコザで人気を博した伝説のロックンローラーだった。
ある日、ハルは交通事故で亡くなるが現世に心残りがあり翔太のカラダを乗っ取ると、翔太の魂は’70年代のハルのカラダへ入ってしまう。熱気や愛憎、欲望などが混沌とする’70年代のコザの街では、さまざまな事件がハル(翔太)の周りで起こる。
先ほどまでの笑顔が消え、改めて姿勢を正して語る。
「僕も翔太のように、何もうまくいかずに悶々としていた時期があったので、その気持ちは理解できました。
’70年代に生きるハルに関しては悩みましたが偶然、沖縄で今作のモデルになっているバンドメンバーの方に会うことができ、当時の話を訊いて一気に視界が開けた瞬間があったので、それをベースにしつつ演じました」。
戦後の沖縄の状況、ベトナム戦争の勃発などの時代背景を考えると、演じる際に少なからず迷いもあったと、言葉がさらに熱を帯びる。
「いろんな情報が錯綜し、しかも人の死が今よりもずっと身近にあった当時のコザって、何が正解か不正解かもわからない中で、みんな死に物狂いで生きていたわけです。
だから役の思いに自分が入っていくとき、それ以上行ったら憑依してしまいヤバイというか、元の自分に帰ってこられなくなるかもしれないという怖さがありました。
でも絶望的な状況だけでなく、当時は笑顔になる瞬間もあったわけで、そういった世の中でも希望や楽しみは見つけていたはずなんです。そう考えたら気持ちが楽になり、いつもどおり演じることができました」。
当時の沖縄を語るうえで、戦争の話題は避けては通れない。射るような眼差しを向けながら、時折自分に問いかけるように言葉を紡ぐ。
「沖縄は、初めて中学生で行ったときからずっと好きなんです。いろんな歴史があるということはわかっていたのですが、恥ずかしながら、今作のように日本人バンドマンのことや米兵たちに対する住民の想いなどは知りませんでした。
子供のときにニュースなどを見て知っている部分もありましたが、本質の部分は無意識に見ないようにしていたのかもしれません。でも今作に携わったことで、少しだけ触れることができたかなと思います」。
将来の夢はないという。これほど多くの作品に出演し、役者としての存在感が年々増している一方で、通俗的な目標は年を重ねるごとに薄れているそう。
枠にとらわれない、いかにも桐谷らしい役者という職業以前のとても人間的な感覚。
「一日一日、楽しく明るくやりたいと常に思っているのですが、前よりもそれが実感できているので、その気持ちをすごく大事にしたいです。
もちろんカンヌやベネチアなどの国際映画祭で賞を獲ることなども考えたりはしますが、日々、自分らしく気持ち良くやっていれば面白い未来が待っている気がするので決まった夢は持っていないんです。それが気持ちいいんですよね。
だからある種、今この瞬間も夢の中にいるのかもしれないですし」。
先ほどから「気持ちいい」という言葉が頻出していることを指摘すると、あの大きな目をぎょろりと見開き、その直後には少年のような笑顔がにじむ。
「めちゃくちゃ大事だと思います。僕の場合は何をするにも、あくまで気持ちいいかどうかというのが大前提。そこの優先順位が変わってくるから、いろいろとしんどくなるんでしょうね。
誰だって絶対気持ち良くなりたいわけじゃないですか。その気持ちを無視して変えるというのは違うのかなって思います」。
インタビューも終了し、桐谷は席を立つと目を見ながら「今日はありがとうございました。雑誌ができるのを楽しみにしています! 」と挨拶をし控室へと向かう。
芸人ばりのトークスキルを持った、ひとり旅好きの寂しがり屋、そして何より芝居に対しては愚直なまでに真摯に取り組む愛すべき役者馬鹿。やはり桐谷健太はとても気持ちいい男だった。
3/3