>連載「37.5歳の人生スナップ」のほか記事を読む 前編では、才能に恵まれなかった荻野忠寛をプロ野球の世界への導いた「想像力」について触れた。
後編では、想像力を元にしながら荻野が実践してきた「センスの磨き方」についてお届けする。
センスってなに?
プロ野球選手になった荻野は、1年目から58試合に登板し、中継ぎとしてチームになくてはならない存在となる。さらに2年目には、リリーフに転向するやいなや、30セーブをあげ、チームの守護神として獅子奮迅の活躍を見せた。
才能に劣り、なかなかプロから声がかからなかった人間が、どのようにして厳しいプロの世界で活躍できるまでになったのだろうか。その秘訣を荻野に訊いてみると、その冷静で寡黙そうな顔つきが一変し、口調は一気に熱を帯びはじめる。
「どんな世界でも、センスがある人が活躍すると考えています。センスがなければ上には行けない。これは仕事でも勉強でも同じだと考えています」。
一般的に、「センス」というと、生まれ持った才能、生まれ持った感覚のように使われることが多いだろうか。
『精選版 日本国語大辞典』でセンスという言葉を調べてみると
「人それぞれの内面にある感覚的なもので、感じ方、理解の仕方、あるいは表現の仕方に現われ出るもの。特に、ちょっとした行為や微妙な事柄についていう」。
と記されている。
スポーツで活躍すること、仕事で売り上げをあげること、勉強で良い成績をあげること、洋服をオシャレに着こなすこと、これらを仮に「人々が“理解”して“表現”する行為」と置き換えると、「センスが良い」というのは、「理解して表現する行為に長けている」と言い換えることができそうである。
荻野も、「センスが良い人」のことを、以下のように定義し、さらにセンスは鍛えられるという。
「人より優れたイメージを作って、そのイメージに対して自分を寄せていく力がある人が、『センスが良い人』です。センスを鍛えることによって、スポーツでも勉強でも仕事でも、ファッションでも、成果を得られるようになります」。
荻野はさらに、ファッションセンスを例に出して説明を続ける。
「例えば、ファッションセンスが良い人というのは、“こういうファッションをしたらオシャレだなぁ、かっこいいなぁ”と、人より優れたイメージを作っています。そこがすべてのはじまり。そのイメージに対して、“こういう素材の服を組み合わせよう”とか、“こういう色合いにしよう”と表現方法を考えながら、理想のイメージに近づけているのです」。
センスを磨くうえで重要なのは「環境」
荻野は、プロ野球や社会人野球を経験しながら、疑問に思っていたことがある。それは、「なぜ、同じように指導を受け、同じように練習をしているのに、野球が上手くなる人と上手くならない人がいるのか」ということだった。
その答えは、偶然見つかった。ある日、荻野は、地域の子供たちに野球を指導する機会があった。集まった子供は、その技術レベルも言語レベルも育った環境もさまざま。その子供たちの中に、キャッチボールをやらせることすら危ないと感じる子がいた。その子に声をかけてみたところ、まるで何かに怯えているかのようにオドオドしていた。あとで周囲の大人に聞いてみると、どうやらその子は、家庭環境に問題があるらしいとわかった。
「劣悪な環境にいると、脳が萎縮してしまい、優れたイメージを作り出すことができなかったり、そのイメージを思考することができなかったりするのではないかと考えました。そのとき、センスとは環境によって作られるものなんだという結論に至りました」。
荻野は、現役を引退後、一般的に感覚的に行われている「センスを鍛える」という行為を指導理論に落とし込み、「スポーツセンシング」と名づけた。さらにセンスを鍛えるうえで必要な、「環境」を整える活動も並行して行なっている。その理論は、スポーツ指導の現場や学習塾で採用されるなど、少しづつ広がりを見せはじめている。
センスを鍛える意味とは何か?
では、センスを鍛えれば、誰でも超一流になれるのだろうか。その答えは、ノーだ。誰もがイチロー選手のようになれるはずがない。だが、その比較対象を今の自分としたらどうだろうか。今の自分よりセンスを磨けるかという質問なら、答えはイエスだ。
今よりも少しでも何かの能力を向上させることができれば、人生をより豊かに、より充実したものにすることができるだろう。そのためにも、センスを鍛えることは、とても有益であり、汎用性の高いスキルと言えるのではないだろうか。
「今までより、ちょっとでも、能力を向上させるということは、僕は、すごい価値のあることだと思っています。だから、『スポーツセンシング』はスポーツ選手だけじゃなくて、生きてゆくすべての人にとって必要なスキルだと思っています」。
この言葉を聞いたとき、筆者は、イチロー選手が残した名言を思い出した。
“小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています”
さすがに、イチロー選手のような超一流になることはできないかもしれない。でも、今の自分よりも少しだけ文章がうまく書けたら、今の自分よりも少しだけオシャレになれたら、人生がもっと楽しくなるような気がする。
これを機に、今よりも少しだけ「センスの良い人」を目指してみてはいかがだろうか。
瀬川泰祐=撮影・取材・文 本人提供=プレー中写真