23歳で視力を失い、未来を奪われた
柔道では全国トップレベルまでは辿り着けなかった初瀬には、別の目標があった。弁護士になるという目標を持っていたのだ。
そんな初瀬が初めて自分の目に異変を感じたのは、19歳のときだった。浪人しながら、志望校への合格を目指していた頃、ふとしたときに、左目をつむり、右目だけで辺りを見回してみたところ、極端に視力が悪くなっていることに気がついた。すぐに地元長崎県の病院で検査をすると、右目の緑内障と診断される。緑内障とは、視神経に障害が起こり、視野が狭くなる病気で、日本における失明原因の第1位と言われる。初瀬は、右目の中心視野が欠けてしまい、右目の視力をほとんど失ってしまった。
しかし、普段は、右目の欠けた視野を左目で補っていたため、日常生活に支障をきたすことはなかった。医師からも「治らないよ」と言われたが、大してショックを受けることもなかった。なぜなら、右目の視野が欠けていても、問題なく生活できていたからだ。
3浪の末に大学に入学し、司法試験に向けて本格的に勉強を始めようとした大学2年の終わり頃、初瀬に再び大きな転機が訪れた。今度は左目に異変が見つかったのだ。信号が見えにくくなったり、歩いていても何かにぶつかったりすることが多くなった。異変を感じてすぐに病院に行くと、今度は左目も緑内障であることがわかった。すでに病状は進行していたため、すぐに手術を行ったが、術後に初瀬を待ち受けていたのは、それまで生きてきた世界とは、全く別の世界だった。
「手術を終えてしばらくして眼帯を外したとき、ものすごい衝撃を受けました。見えない。目の前にいる人の顔がわからないんです」。
【後編】へ続く
瀬川泰祐=取材・文