■悩みに悩み抜いた決断。覚悟はあっても後悔はない
「理由はいくつもあって、“これがそうだ”とは言い切ることはできないのですが……大きな理由のひとつとしては、僕が僕自身のことを嫌になったんです。カープで何度もケガ人が出る度、僕はカバーしてきました。せっかく手にしたポジションだからそこで定着したいと死に物狂いで頑張った。結果いろいろなことがこなせるようになりました。ショート。セカンド。サード。外野。代打。代走。バント。……やれと言われればキャッチャーもピッチャーもできます。僕はそういうカードになっていたんです。いわばジョーカーですよね。ベンチに置いておいてこそ価値があって、最初から固定的な役割で使う理由がないチームにとって、それが僕の存在意義だったんですよ。もちろんありがたいです。でもそれは僕の思う“プロ野球選手”の価値ではなかった」。
すごい葛藤があったという。どのポジションでも、どんな役割でも、起用されたとしたら全力を出す。結果も見せる。ただ皮肉なことに、それは“ジョーカー・木村昇吾”としての価値をさらに高めることにつながるのだ。
「試合に出られずにチームが負けると当然ですけどすごく悔しかった。明日こそは出場して勝ちたいと思う。明日こそは……。ショートを守って打って走って勝ちに貢献したい! そんなふうに思っていた自分が、四千何百万の年俸をもらうようになり、ベンチで声がかかるのを待って、試合に出ても出なくても評価が変わらない状態になってきたんです。一軍で1試合も出なくても年俸が下がらないんですよ?……よくないですか(笑)」。
それが木村の日常になって、あるとき気づいたのだという。
「レギュラーになりたい、スタメンで出たい、自分が理想とするプロ野球選手でありたい。そう思ってたのに、試合から試合へグリーン車で移動してホテルに泊まってチームメイトと飯食って、試合に行って、ベンチにいて勝つか負けるかして……その状況に自分が慣れてしまっていたんです。それで自分に腹がたった。お前何考えてんの? 今日試合に出てへんやん! 悔しくないの? そんな気持ちで野球やってたらこれ以上何もできへんで!……って」。

これが唯一の理由ではない、と木村は強く言う。さまざまな要素があって「もはや何に悩んでいるのかもわからないぐらい悩んだ」らしい。「緒方さんともずっとお話しさせて頂いて、球団からは引き止めてももらいました」。
結果的にそれらを振り切ってFA宣言。翌年、西武ライオンズと1年契約。右膝の故障を得て、結果的にはここでの移籍が、木村昇吾のプロ野球生活に終わりを告げる大きなきっかけとなる。
「でも一切後悔はしていません。“こうしておけば良かった”とか思うんなら、すればいいんですよ。もししていなかったら“したほうが良かった”って思うでしょ? これは決して物事を単純化して語ってるわけじゃなくて、そこまで悩んで自分で出した結論だから、っていうこと。悩んで悩んで悩んで。決断した以上は未練もないし悔いもない。逆にその分の覚悟は持ってる」。
FA宣言した年、広島カープは優勝した。優勝すると思っていた、という。そして、「チームの裏方さんが泣きながら胴上げに参加しているのを見て、泣きましたしね」。

「選手は打ったり押さえたりすることで感情を爆発させることができますけど、裏方さんが報われるのは、たぶんあの瞬間ぐらいです。だからそっちのほうがむしろうれしかった。でもそこで、“ああ、広島にいたらよかったなあ”とか思うようだったら、そもそも決断していません。決断ってそういうことだと思うんですよね。僕は今、クリケットが面白いって思ってしまっているんです。僕の中のいろいろなものがそう判断してしまった。だから今、僕はこれを全力でやっているんです」。
【Profile】 木村昇吾1980年4月16日生まれ。大阪府出身。尽誠学園高、愛知学院大を経て、2002年ドラフト11巡目で横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団。'08年に広島へ移籍。内外野を守れるユーティリティープレーヤーとして活躍。'16年より西武ライオンズ。同年、右十字靭帯断裂。翌年10月に戦力外通告を受ける。現在、クリケット選手。2018年1月より本格始動し、わずか2カ月で日本代表に選出。武田篤典=取材・文
稲田 平=撮影