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形式知化できないと成長しにくい

このように「実践できる」ことと「説明できる」こととは違います。せっかく持っている暗黙知を形式知化できないことは、成長という観点からはもったいない状態です。
形式知化≒意識化≒言語化ができれば、自分の知識を論理的に検証することができ、その不完全性や問題点に気づくこともできます。
形式知化すれば人に伝えることもできるので、他者からフィードバックをもらって改善することもできます。
それが言葉にできない暗黙知のままで持っていると、経験学習のサイクルは回らずに、なんとなく同じことは繰り返しできるのですがさらに進歩してはいかないというわけです。

不足しているのは「内省」することかも

つまり、既に大量の経験をしてきた管理職にとっては、不足しているのは「経験」でも「概念」でも「実践」でもなく、経験を「内省」することではないでしょうか。
日々仕事に追われているということは、経験が積み上がっているのですから悪いことではありません。ただ、それらを振り返ることなく、記憶の倉庫にしまっていると、時間が経てば経つほど、せっかくの経験の記憶が薄れていくのです。
経験の裏付けのないただの知識は所詮底が浅く、「実践」に適応できにくいものですから、そういう知識をインプットするより、自らの中にある知識に目を向け、内省することによって引き出していくことを優先してはどうでしょうか。

メンバーから質問攻めにあえば「内省」できる

しかも、日々忙しい管理職にとって、知識インプットはあえてプラスアルファの時間を作らねばなりませんが、「内省」はふだんメンバーに指導をする際に同時にでき、追加の時間は不要です。
指導する際に、メンバーに遠慮なくガンガン質問攻めをしてもらうだけでよいのです。
人はふだん無意識でやっていることを、あえて質問をされることで「そう言えば、これはどうすればできるのか」とか「なぜそんなことをしているのか」とか考えるようになります。
これはまさに「内省」です。よく「最もよい学習方法は、人に教えることだ」と言いますが、それは教えることで内省やその結果の形式知化が進むからなのでしょう。

アウトプットに勝るインプットはない

結局、メンバーやクライアントや上司に対して、自分がやっていることや考えていることをアウトプットしていくことに勝るインプット≒知識の獲得≒成長はない、ということです。
自分について考えてみても、本で読んだ知識などはあくまで補助的なものであり、自分の血肉となって仕事に役立っているものは、経験で身につけた暗黙知を形式知化したものです。
また、自分で生み出した知識は、オリジナリティがあり、対象が変わっても適応できる力があり、経験を例に他者に展開していくことができます。
こういう自分の中にある豊かなものを見ずに、外にばかり目を向けないでください。それこそ「灯台下暗し」ですよ。
曽和利光=文
グラフィックファシリテーター®やまざきゆにこ=イラスト・監修
曽和利光さんとリクルート時代の同期。組織のモヤモヤを描き続けて、ありたい未来を絵筆で支援した数は400超。www.graphic-facilitation.jp
 
「モヤモヤ り〜だぁ〜ず」とは……
組織と人事の専門家である“そわっち”が、アラフォー世代の仕事の悩みについて、同世代だからこその“寄り添った指南”をしていく連載シリーズ。好評だった「20代から好かれる上司・嫌われる上司」の続編である。
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