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2021.11.02

ライフ

サーフマインドを持つ日本唯一のアーティスト・花井祐介さんの“仕事の流儀”

現代アーティスト然としながらサーフカルチャーに近い場所にいる。日本でそのような存在は花井祐介ただ1人だ。
なぜ花井さんは唯一無二の存在になれたのか。それが今回の“海にまつわる疑問”である。
 

サーフマインドを持つ日本で唯一の芸術家

サーフマインドを持つ日本で唯一のアーティスト・花井祐介さんの“仕事の流儀”
アトリエは海のそばにあり、その沖は湘南屈指のポイントブレイク。波が上がればローカルたちが現れ、コンディションのいい日なら一見さんに乗る機会はほぼ訪れない。
質がいいから波数よりサーファーのほうが多い状況は常で、ここの波に乗るため生活リズムを合わせるサーファーさえ数多いる。彼らは常連で顔馴染み。あうんの呼吸で海の中に規律を生み出す。その形成は水平線にうねりが見えたときに顕著だ。
数本がまとまってやってくるうねりを視界に入れたサーファーたちは思い思いのテイクオフポジションへ移動するのだが、場を熟知する彼らは“最もいい波はあの人が行く”といった暗黙の了解を知っている。
そしてそのようなサーファーが多いスポットだから、ここ特有のリズムに溶け込み、そのうえで自分が乗れる波を見つけて初めて、平和的にグッドウェーブを堪能する機会は訪れる。
ざっくりと言うなら、クラシカルなポイントブレイクには長い歴史を刻んだソーシャルクラブがあるということだ。波という席には限りがあるためメンバー入りは難しい。しかし花井祐介さんは、「年齢的にも序列はまだ下のほうですけど」と言いつつ、このスポットのメンバーに名を連ねている。
さて、そんな彼のアトリエは波の音が聞こえる場所にあった。ほかのところに自邸を構え、奥さんと2人の子供を養っている。その暮らしは、すべて絵を描くことで築かれた。
近年、彼の仕事は「ギャラリーワークがほとんど。クライアントワークは2割ほどになりました」と作家のそれとなってきた。
コロナ禍で現地入りできなかったが今年はニューヨークのグループ展「Beyond The Streets」に参加し、香港では個展「Facing The Current」(冒頭の写真は同展のメインビジュアル)を開いた。来年は上海でのエキシビションが予定され、ロサンゼルスのギャラリーからも問い合わせがあったという。
個展やグループ展への誘いは増え、一方、減らさざるをえないクライアントワークには国際環境NGO「サーフライダーファウンデーション」や老舗サーフィン専門誌「ザ ・サーファーズ・ジャーナル」など、サーフカルチャーに寄り添うものがある。
ではなぜ花井さんはサーフマインドを持つ日本で唯一の芸術家になれたのか。鍵は“人とのつながり”だった。
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人のつながりを大切にする花井祐介の仕事の流儀

喘息気味だったことから幼少期にはよく家で絵を描いていた花井さんが表舞台へ引き上げられたきっかけは1枚の看板だった。
「2005年、1回目のグリーンルームフェスティバルで、バイトをしていたロースカ(神奈川県・金沢文庫にあったレストラン「ザ・ロード・アンド・ザ・スカイ」)がフードブースを出すことになって、僕が看板を描いたんです。
そうしたらフェスの間に『これいいじゃん』と、既にメジャーな存在だったアーティストでサーファーのジェフ・カンハムたちが言ってくれて。以来、カリフォルニアでイベントが企画されると声をかけてくれるようになりました」。
そのひとつが’07年から翌年にかけて行われた「ザ・ハプニング」。アートや音楽などサーフカルチャーにフォーカスしたエキシビションで、ワールドツアーとしてシドニー、東京、パリ、ニューヨークなど世界の複数の都市で開催。ジャック・ジョンソンらが音を奏で、バリー・マッギーたちがアートを飾るなか、彼らに交じり花井さんも作品を展示した。
海外でのクライアントワークも増えていく。’12年、当時スノーボードブランドのバートンが手掛け、サーファーやスケーターも愛用していたシューズブランドのグラビスからコラボのコレクションをリリース。’16年にはヴァンズから全世界に向けてカプセルコレクションを発表した。
昨年にはサンフランシスコで出版されるアート&カルチャーマガジン「ジャクスタポズ」で特集が組まれるなど海外での存在感は増すばかり。その状況を理由のひとつに、さらに国内での人気も高まっている。特徴的なのは活動の場がサーフィンやカルチャーの垣根を越えていることだ。
国立科学博物館の植物展や愛知県の東山動物園に向けたグッズ、JR横浜駅構内の壁画、鎌倉のクラフトビールブルワリー、ヨロッコビールのラベル、リーバイスやフェンダーのプロジェクトにも参加し、事務用品を多く扱うアスクルのデリバリートラックは花井さんの作品を纏って毎日のように都内を走っている。
そしてこれらのクライアントワークは、いずれも“人つながり”で発生しているのだというから面白い。
「ヴァンズのプロジェクトはグラビスで出会ったスタッフがヴァンズに転職したことで生まれたし、アスクルはもともと葉山でパン店を営んでいた知り合いが同社のクリエイティブ職に就き、何か一緒にやろうと声をかけてくれました。
フェンダーも同様です。ラジオ局のインターFMで地元の先輩ジョージ・カックルさんの番組を担当していた人がフェンダーに行くことで生まれたもの。顔が見える、相手の考えていることがわかる。そこは仕事を選択する基準になっていますね。
自分を高めてくれる仕事と出会いたいし、その逆にサーフアートのような作品を求められると、僕の絵を見ていないのかなと思って前向きになりづらいんです」。
サーファーではあるが、それが作品に影響してはいないと自己分析する。むしろ“サーフアート”としてカテゴライズされることは自身の可能性を狭めると考え敬遠してきた。手掛けるのは絵。それ以上でも以下でもないというのである。
そうして絵描きとしての自分を高める仕事を求め、受けた依頼には真摯に向き合う。なぜなら絵には人を幸福にする力があると信じているから。
今も昔も創作のモチベーションは「絵に触れた人の心が少しでも動いてくれれば」といったもの。不安な日々を送る人も感動させる力が絵にはあると信じ、だから作画には謙虚に臨み、その姿勢に一緒に仕事をした人たちはまた惹きつけられる。
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