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「最終的には、お世話になった(構成)作家さんに相談して(福島行きを)決めるんですが、いなのさんの中では最初から、福島に行くっていうのが決まってたんですよね。あまり物事を深く考えないというか、無鉄砲というか……」(中村)。
「大まかにいうと馬鹿なんですよ(笑)。震災で大変なことになっているんで、何かしなくちゃって。もちろん岩手や宮城の人たちも大変だったんですけど、福島はその上に原発事故まであって。僕らみたいな『お笑い』が何の役にも立たないんだろうけど、とにかく行かなくちゃって思ったんですよね」(いなの)。

1通のダイレクトメッセージが人生を変えた

そして福島に来て1ヵ月後、彼らのその後の、「住みます芸人」としての生き方を方向づける転機が訪れる。
「(2011年)5月の末ですね。TwitterのDMでメッセージが来て。『怪しい者じゃありません』みたいな感じで。そう書かれると逆に怪しいんですけど(笑)。おまけに送信者のハンドルネームが『yyjack』って、怪しすぎるでしょ。
けれども内容を読んだら、『今、原発事故で多くの人たちが郡山に避難されているのはご存知ですよね』と。『その中でも富岡町の人たちが避難されているビッグパレットという施設でラジオ局を運営している者です』と。『一度、来てみませんか』みたいな内容で、せっかくだから2人で行ってみようかって、自転車で行ったんですよ」(中村)。
郡山市にある多目的ホール「ビッグパレットふくしま」は10年前、原発事故で全町退避を余儀なくされた富岡町、川内村の住民2500人超が避難した、東日本大震災でも最大の避難所となった。そのビッグパレットに、福島県庁から派遣された「運営支援チーム」のトップが、「yyjack」こと、天野和彦(現「福島大学うつくしまふくしま未来支援センター」特任教授)だった。天野が当時を振り返る。
「ビッグパレットに派遣されてからほどなく、生活支援の拠点として『おだがいさま(福島の言葉で「お互い様」)センター』を立ち上げ、情報紙の配布を始めたんです。が、避難所は照明が暗く、高齢者には字が読みづらいなどの問題があって“声の情報”が欲しいな、と。そこで、ふくしまFM(エフエム福島)のスタッフの協力を得て、ビッグパレットのロビーに段ボール作りのスタジオで『おだがいさまFM』を開局したんです。
ところが、開局したのはいいが、しゃべり手が足りない。そんな時にネットニュースで、彼ら(ぺんぎんナッツ)が『住みます芸人』としてこっちに来てる、と。こりゃ、ピッタリじゃないかって、すぐに中村くんの連絡先を調べ、TwitterでDMを送ったんです」。


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