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なぜ医者になり、なぜミュージシャンに戻ったのか

彼はここで、継父にアイスフォリーズのチケットを買ってもらって観戦し、その後、フィギュアスケートを始めた。やがて、太平洋・中西部地域で勝利を収め、アフリカ系アメリカ人として初めて全米フィギュアスケート選手権に出場した。また、サンフランシスコ・コンサヴァトリー・オブ・ミュージックでトランペットを習い続けた。
しかし、継父は彼を医学の道に進ませたがった。そのため、アメリカ空軍での3年間の任務を経てカリフォルニア大学バークレー校の学部課程を修了、1968年にハワード大学で医学博士号を取得した。「ある日、『医者であることは神に最も近い』と(継父が)言っていたことを覚えています」とヘンダーソンは教えてくれた。
「でも、私は実のところ音楽にしか興味がなかったんです。継父にはこんなふうに言われたんです。『音楽しかやっていないと、波止場のホームレスになってしまうぞ』と。だから、私は継父の間違いを証明したくて、わざわざ医者になったんです」。
ヘンダーソンはその後、医療の道を退き、ニューヨークで音楽に没頭する日々を送っている。ジュリアード音楽院やオバーリン大学で教鞭をとり、1年のうち約4カ月はザ・クッカーズというグループでライブ活動をしている。ハワイの「ルワーズラウンジ」での公演後は、ニューヨークに戻ってしばらくしてから、ザ・クッカーズの2016年ヨーロッパツアーを予定していた。
今、ヘンダーソンは、マウイ島での公演――彼にとって2年ぶり2度目の「ルワーズラウンジ」での公演――に集中している。小さなラウンジに、彼が奏でるマーティン製のヴィンテージ・トランペットの低音が響き渡る。

ここで、自分にとってのヒーローであり、師匠でもあるハービー・ハンコックが書いたお気に入りの曲「カンタロープ・アイランド」の演奏を始めた。多才なトランペッターである彼は、2時間のセットリストのほぼ半分を終えようとしているのに、開演したばかりにしか見えない。
「ルワーズラウンジ」は、1907年に高級ホテルの初代ハレクラニをオープンしたロバート・ルワーズ氏にちなんで名付けられたラウンジで、ジャズファンやカクテル好きのオアシスとなっている。ここでは、現代的なカクテルや伝統的なカクテル、おいしい食事やライブ・エンターテイメントを楽しめる。
2013年の開始以来、「ルワーズシリーズ」のライブにはトニー・ベネット、ダイアナ・クラール、ジャック・ジョーンズ、ティアニー・サットン、ロバート・カジメロなど、さまざまな音楽ジャンルのレジェンドたちが出演してきた。
 
ケリー・グラッツ=文 ジョン・フック=写真 神原里枝=翻訳
This article is provided by “FLUX”. Click here for the original article.


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