創業以来大切にするフィ“ラ”ソフィー
改めてマスターピースを見て思うことは、世のスニーカー業界とは一線を画すデザインだ。
アッパーとミッドソールの境界線を取り払った「グラントヒル Ⅱ」のサイドデザイン、マッシュバーンのアイコンだったタトゥをグラフィックに落とし込んだ「MB」のソールデザイン、ヨットの旗をモチーフにした「テニス 88」や「ディスラプター 2」のFILAフラッグ──。
どれをとっても遊び心があり、強く記憶に残るデザインワークだ。機能開発の競争に明け暮れていたら、決して生まれることはなかっただろう。
「フィラはイタリアにルーツを持つブランドです。我々は創業以来、このアイデンティティを大切にしてきました。そしてその当初よりファッションという切り口を常に念頭に置いてきました。これを我々は“フィラソフィー”と呼んでいます」(マーケティング部マーケティング第二課、篠原康岐さん)
9人のフィラ兄弟が始動
フィラは1911年、9人のフィラ兄弟が伊ビエッラで創業したニットファクトリー、マグィリフィシオ・ビエッラ・フラテッリ・フィラをルーツに持つ。
日本語にすれば“ビエッラにあるフィラ兄弟のニットファクトリー”となるその会社は純ゴム製の薄いシートを帯状にしたアンダーウェアを考案して評判になった。
1970年代に入るとアンダーウェアのものづくりをスポーツウェアに応用、コットンリブを採り入れたテニスウェアで一躍表舞台に躍り出た。
そのテニスウェアにはもうひとつ、ユニークな仕掛けがあった。白地に赤と青を挿したトリコロールを打ち出したのだ。
テニスウェアといえばすでに白が主流だったとはいえ、今ほど厳格なルールがなかったためにフィラの遊び心はすんなりと受け入れられた。
それらのテニスウェアは、スポーツをする人も観る人も楽しめるものづくりを──というフィラの思いを初めて可視化したものだった。
この追い風を決定的なものとするべく、フィラは当時のスポーツ業界では前代未聞となるスポンサー契約に踏み切る。契約選手の第一号はテニスプレイヤーのビョルン・ボルグ。ボルグは契約を交わした翌1976年からウィンブルドン選手権5連覇を達成した。
アンダーウェアから始まったフィラは「オリジナルテニス」を皮切りにフットウェア市場にも足を踏み入れ、堅牢強固な足場を築いた。
時代は下って2017年、フィラは韓国を拠点とするグローバルブランドに。新たな態勢で再スタートを切ったフィラはファッションとの融合をより積極的に進めてきた。
ロシアのファッションデザイナーブランド、ゴーシャ・ラプチンスキーやニューヨークのストリートブランド、ステイプルといった脂の乗りまくったクリエイターとのコラボで脚光を浴びた。
今年は上述のアニバーサリーモデルに加え、新生フィラの本領発揮ともいうべき仕掛けも目白押しだ。Y project(フランス)、pushbutton(韓国)、The Perfect Magazineのケイティ・グランド(イギリス)といったキレキレのクリエイターがフィラとのコラボレーションを二つ返事で引き受けているという。
竹川 圭=取材・文