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2021.05.29

ファッション

ストリート、アメカジ、モード。 平山祐介を興奮させた“ハイ”なスニーカー三番勝負

「偏愛スニーカー三番勝負」とは……
オーシャンズで長らく看板モデルを務めるユースケこと平山祐介さん。かつてはモードの世界に身を投じ、現在は俳優としても活躍の場を広げる彼もまた、若かりし頃にスニーカーブームの恩恵を受けたひとりである。
平山祐介●1970年11月15日生まれ。埼玉県出身。大学卒業後、一般企業に就職するもモデルになるため退職し、単身渡仏。’95年にパリコレクションデビューを果たし、数多の海外ブランドのコレクションを経験。’03年より拠点を日本に移し、俳優としても活動を開始。NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』、7月スタートの新水曜ドラマ『ハコヅメ〜たたかう!交番女子〜』(日本テレビ)に出演。プライベートでは、空手、バイク、乗馬など多趣味な一面も。インスタグラム(@yusukehirayama_
しばらくは距離を置いていたものの、ここ数年の間にスニーカー熱が再燃。そのスイッチとなったものとは?

①先鋒 ナイキ「エア ジョーダン 3 ティンカー ブラックセメント」


祐介さんのスニーカー愛が開花したのは大学の卒業旅行。国内で巻き起こっていたスニーカーブームを尻目に、誰もが血眼になって探していたモデルを労せずして手に入れたところに端を発する。
「おそらく、スニーカーブームは日本だけだったんじゃないかって思う。卒業旅行でアメリカに行ったとき、初めてフットロッカーというお店の存在を知ったんだけど、そこには当時、国内で争奪戦勃発中だったジョーダンのオリンピックモデルなんかが普通に売っていたからね。え? もちろん即購入したよ(笑)」。
ほかにも、国内では手に入りづらいモデルがゴロゴロ。しかも、そのほとんどを100ドル前後で買うことができたというから羨ましい限りである。なかでもかなり心酔していたのが“あのブランド”だ。

「ナイキのいいところは、兎にも角にもデザイン。バッシュとはいえ、やっぱりファッショナブルなんだよね。特にジョーダンはそう!」。
となると、一足目のチョイスも納得である。
モデル名にある“ティンカー”とは、スニーカーデザインに革命を起こしたと言われるナイキのデザイナー、ティンカー・ハットフィールドのこと。
そんな彼が手掛けた最初のエア ジョーダンが、名作「エア ジョーダン 3」である。

衝撃吸収に優れたビジブルエアを初めて採用し、ナイキの象徴といえるスウッシュの代わりに“ジャンプマン”を初起用。さらには、ヒールに“NIKE AIR”のロゴを配した最初のエア ジョーダンシリーズと、まさに初ものづくしだった「エア ジョーダン 3」。
ちなみに、マイケル・ジョーダンが初めてシーズンMVPを獲得した年に履いていたのもこのモデルだ。

「エア ジョーダン 3」に手が伸びたのは、単にナイキ好き、というだけではない。そこには、今もなお憧れの存在として敬愛するスーパースターの影響も少なくない。
「学生の頃はアメリカンスポーツに憧れていてね。NBAもそのひとつで、俺が見始めた頃はマイケル・ジョーダンやマジック・ジョンソン、ラリー・バードがまだ現役でプレーしていた。
日本だとなかなか情報が入ってこないから、必死に本や雑誌を見ながら情報収集していた。アメリカへ行ったときは、ビデオ屋でジョーダンのスーパープレーを集めたVHSのビデオテープを買って何度も観たな。今でもそのビデオは実家にあると思う。
だから、やっぱり彼の履いたものは気になる。同じものを身に着けることで少しでも近付きたいと思ったのかな。共感してくれる人は結構いると思う」。

3、4年前に購入したこちらは、離れていたスニーカーへの想いを取り戻すきっかけとなったモデルでもある。
「ファッショナブルだし、バッシュ感もいい塩梅で残っている。さすがというほかない。これで再燃したという意味では、今持っている中でも一番思い入れがあるかな〜。実はまだ下ろせずにいるんだけど(笑)」。


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