当記事は「Forbes JAPAN」の提供記事です。元記事はこちら。 Jポップの一時代を築いた音楽プロデューサーが、世界のあるべき形を考えた末に行き着いたのは、自然と人が共生する循環型社会。木更津を舞台に持続可能な農場経営を追求する“日本のセレブリティ”は、理想と現実の狭間で何を思うのか。
論より証拠と言うべきか。ここ「KURKKU FIELDS(クルックフィールズ)」で収穫される有機野菜や、あるいは放牧飼育の水牛の乳から毎日つくり出されるモッツァレラチーズは、いずれも絶品の旨さだ。音楽プロデューサーとしても著名な小林武史の長年の取り組みの“成果”は、こうした食によっても雄弁だ。
東京から車で約1時間。千葉県木更津市の内陸に位置する約9万坪(東京ドーム6.4個分)もの広さの農場は、そもそも鬱蒼としたやぶに覆われた窪地だった。そこに小林が資金を投じて開墾し、2019年11月に営業を開始した。ここは人間と地球環境をめぐる小林の理念を社会実装するための施設でもあるのだ。
「サステナビリティ」という言葉が日本社会で一般化したのはここ数年のこと。小林が自然環境と人間の持続可能な共生社会を志向しだしたのはそのはるか前、アメリカ同時多発テロが起きた01年9月11日にさかのぼる。
小林は家族をニューヨークに残し、東京でMr.Children(ミスチル)の新作アルバムのレコーディング中だった。そこに「ニューヨークがものすごいことになっている」という話が飛び込んできた。
「すぐにテレビをつけたら、真っ青な空を、ちょうど2機目がワールドトレードセンターに突っ込むところだった。その当時、ニューヨークの自宅は現場から2kmの場所にあり、日本から電話が通じなくなっていた。
レコーディング後に家族の元に戻ったのですが、日本に帰国するまでの数カ月間というもの、多くのアメリカ人が星条旗を掲げ、復讐に燃えていました。坂本龍一さんが“非戦”のメッセージを掲げて怒りの連鎖を止めるべきだと発信していましたが、こんな僕でも(復讐心を抱くのは)致し方ないと思うくらい、あの事件は凄まじい衝撃だったんです」
9・11以降、米国による軍事関与により中東地域は報復の泥沼と化し、現代社会に新たな脅威を生み出した。そんななか、小林は自分が今後どうこの世界と向き合っていくべきか、考えをめぐらせていた。
「歴史のなかのさまざまな出来事が、いまにすべてつながっているんだという思いを新たにしました。そして、未来に対して一人ひとりが何かしらの責任を負っているとすれば、このままではだめだ、人のせいにして文句だけ言って何も行動しないのは格好悪いと思ったんです」
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