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対面できないからこそ重視したコミュニケーション

打ち上げに際して大きな影響をおよぼしたのが、新型コロナウイルスの流行だ。リモートワークを余儀なくされ、渡米するスタッフの人数は予定よりも大幅に絞った。
「夏にアメリカ国内での感染者が増え、アメリカへ行かずに日本から支援活動ができないかという検討も行いました。しかしその後、JAXAの医師らと相談し、メンバーの人数を最小限に絞った体制で、健康管理と感染対策をしっかり行ったうえで渡米することになりました」と西川。
ケネディ宇宙センターもテレワークが推奨されていたため、「施設全体が閑散としていました。アメリカは車社会なので、施設の前にすごく広い駐車場があるんです。アメリカの方は朝6時くらいには出勤するので、早い時間に駐車場の空きが少なくなるのですが、今回はいつ行っても建物のすぐ前に停められました。それだけ人がいない状態でした」と冨永は話す。
打ち上げの2日前に撮影した、会議室からの風景。遠くにCrew-1の射点が見える(矢印部分)。左の白い建物はサターンVロケットやスペースシャトルの組立棟。現在はNASAの新しいロケット(SLS)を組み立てている。
こうした状況のなかでの支援活動は、三密を避けるために同じ場所で作業できない状況もあり、アメリカと日本にいる関係者間での連携を円滑に行う必要があった。日本実験棟「きぼう」のフライトディレクタを経験した西川は、直接会って話せないからこそ心がけていたことがあるという。
「対面できない状況は、ある意味、宇宙飛行士と地上の運用管制官の関係に似ているような気がしていました。だからこそ、コミュニケーションを密にとるように心がけていました。
相手の状況を正しく理解し、思い込みがないように丁寧に確認したり、相手が抱えている課題や懸念に対しては、自分が把握している状況を積極的に伝え、解決方法を一緒に考え、提案したり。困難な状況ではありましたが、みんながCrew-1の打ち上げ成功という同じ目標に向かっていたので、乗り越えることができたのだと思います」。
Crew-1は、野口宇宙飛行士の3度目の宇宙飛行でもある。2005年、スペースシャトルでの初飛行も企画係としてサポートを行った冨永は「昔にくらべて、野口宇宙飛行士は余裕があるように見えました。会見での表情や話す内容に貫禄を感じました」と語る。
©JAXA/NASA ISSに入ったあと、ウェルカムセレモニーでスピーチする野口宇宙飛行士。
西川は「日本人宇宙飛行士の役割はさらに重要性を増しています。スペースシャトルとソユーズ宇宙船でISSへ行き、船外活動や長期滞在も行った、あらゆる面で経験豊富な野口飛行士が世界の宇宙飛行士からアドバイスを求められる時代。私たちも、今回の搭乗支援で経験した実績を形に残し、後輩たちにつないでいきたいですね」と語った。
西川と冨永は今後、日本から野口宇宙飛行士のISSでの活動を支援。さらに、2021年の星出彰彦宇宙飛行士が搭乗するCrew-2の打ち上げ、野口宇宙飛行士が搭乗するCrew-1の帰還へと、任務は続く。積み重ねられた経験と知識が、これからの宇宙開発を支えていく。
 
Profile

有人宇宙技術部門 宇宙飛行士運用技術ユニット
技術領域主幹
西川岳克 NISHIKAWA Takayoshi
愛媛県生まれ、大阪府出身。学生時代、宇宙開発事業団(NASDA)主催のサマースクールへ参加したことがきっかけとなり、1997年にNASDA(現JAXA)に入社。これまでISS搭乗宇宙飛行士候補者の基礎訓練、ISS計画の推進に関する国際調整、「きぼう」日本実験棟の運用管制(JAXAフライトディレクタ)などを経て現職。趣味は海外TVドラマ(SF)鑑賞と海釣り。
 
有人宇宙技術部門 宇宙飛行士運用技術ユニット
宇宙飛行士運用グループ 主任研究開発員
冨永和江 TOMINAGA Kazue
鹿児島県出身。高校2年のある夏の日の夕方、種子島から打ち上げられたロケットの飛翔する様子を自宅(南九州市)から見たときに、宇宙の仕事に就くことを目指す。宇宙技術開発株式会社を経て、鹿児島と筑波を往復しながら講演活動やNASAへ子供たちを連れていくツアーの企画を行う。2019年4月から非常勤招聘職員として再びJAXAへ。夢は、迫力のあるSLSロケットの打上げをケネディ宇宙センターから生で見ること。日本人宇宙飛行士が乗っていたら最高です。
 
平林理奈=取材・文
著作権表記のない画像は全て©JAXAです。
記事提供:JAXA


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