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エア ジョーダン 2(1986年)

意外なイタリア製。評価が分かれる異色作

スニーカーフリークの間で「エア ジョーダン 2」は、評価が分かれるモデルのひとつだ。
「エア ジョーダン」の愛用者であるカーメロ・アンソニーのプロデビュー15周年を讃えた記念モデル。2018年に発売された。
「エア ジョーダン 1」のデビューからわずか1年足らずの1986年。「前作を上回るプレミアムなスニーカー」というコンセプトのもとで開発された記念すべきセカンドモデルは、シリーズ中唯一の“イタリアメイド”であった。
デザインの陣頭指揮を執ったのは、ピーター・ムーアと「エア フォース 1」の生みの親であるブルース・キルゴア、そしてイタリア人デザイナー。
スウッシュを取り払った大胆なデザインは、ミッドカット、ローカットの2型があり、発売時にはそれぞれ2つのカラーを展開。アッパーに用いた最高品質のレザー、ヒール部分のエア ユニットなどの採用から、申し分ないパフォーマンスを誇っていた。
ヒールの蛇腹状のパーツはこのモデルならではのディテールとして認知されている。
マイケル・ジョーダンが「エア ジョーダン 2」を着用して登場したのは、1986年のテレビCMからだ。コートでは、1985-1986年シーズンを全試合欠場していたため、1986-1987年シーズンの途中から「エア ジョーダン 2」を履き始めた。
このシーズンの成績は、初の得点王、NBAオールスターチームへの選抜、スラムダンクコンテストでの優勝と、ジョーダンのキャリアにとって記念すべき1年となった。
残念なことにセールスの面では「エア ジョーダン 1」に遠く及ばなかったが、ここでの不遇が爆発的なヒットへと繋がる“運命の出会い”を導くことになる。
 
「What’s AIR JORDAN」とは……
オークションではマイケル・ジョーダン本人が着用していた「エア ジョーダン 1」が61万5000ドル(約6600万円)で落札。彼が現役引退してからも派生モデルは増殖し、比例するように熱狂的マニアも後を断たず。エア ジョーダンって一体、なんなんだ?
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戸叶庸之=編集・文 ナイキジャパン=写真


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