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一度は挫折するも、再び走り始められたワケ

学生時代は陸上部だったが、その頃は短距離種目をやっていた。
「高校卒業後は運動らしい運動はしていなくって、大学生の頃はのちに入社することになるアパレルショップでアルバイトをしていました。
30歳を過ぎた頃に一度、健康維持のためにランニングをしようと思い立って、近所の代々木公園で5〜6kmほど走るということを半年ほど続けました」。
田中利栄
でも、そのときはランニングを挫折してしまったという。
「それから何年か経って、スポーツとファッションと融合させた社内の新規プロジェクト立ち上げに加わったことをきっかけに、もう一度走り始めました。
『ファッション好きがランニングをする』という欧米では定着していたライフスタイルが新鮮で、また日本でも広がっていきそうなムードを感じたんです。そこから走ることにハマっていきました。
挫折してしまった一度目と違ったのは、ひとりじゃなかったこと。そのときのチームの雰囲気がすごく良くって、基本的にはタイム至上主義ではなく、みんなで楽しく走ろうというノリ。
リアルに集うグループランに加えて、ランニングアプリやSNSを通じて走ることを共有できたのがよかった。ランニングがきっかけでさまざまな業界の人と知り合えますし、走り続けていると何かといいコトがあるんですよ」。

レースに向けてマジになれるのも、大人が夢中になる理由のひとつ

2015年に走った東京マラソンのゴールもひとつの転機となった。
「ゴールで、海外から来日していた年配の女性ランナーが『ワールドマラソンメジャーズ』6大会全完走の記念メダルを貰っていたんです。そこで6スターフィニッシャーの存在を知って、海外のマラソン大会に俄然興味が沸きました」。
田中利栄
ベルリンマラソンのフィニッシャーメダル。世界6大マラソンをすべて完走すると、これとはまた別のスぺシャルな記念メダルが贈られる。ちなみに田中さんが出走したときは、かのキプチョゲ選手が2時間1分台の世界新記録を樹立した高速レースだった。
2018年はベルリンマラソン、2019年はシカゴマラソンを走った。
「海外の応援は日本とまた違った熱狂があって、終始楽しく走れました。学生の頃やっていた短距離走では、出だしでドンっと飛び出せないと勝負になりませんが、マラソンはいくらでも挽回の余地があります。
周りの人とも励ましたり励ましてもらったりで、競うというよりは共に挑戦している感覚ですよね。ワールドマラソンメジャーズの残りの3大会もそう遠くないうちに走りたいです」。
人と人がつながるランニングの魅力にハマり、ついにはシューズメーカーへと転職。オンのシューズの魅力を、かつて自身が携わっていた「ランニングとライフスタイルを結びつけるショップ」に対して広めていく側になった。
やっていることは変わらないけれど、より根っこのほうに。「ランニングシューズの良さを、ランナー以外にも広める」ために。
後編では元バイヤーならではのギア選びのポリシーを聞いてみよう。そしてオンのシューズの中でも、とくに愛用しているモデルとは?
田中利栄
RUNNER’S FILE 26
氏名:田中利栄 
年齢:42歳(1977年生まれ)
仕事:オン・ジャパン キーアカウントマネージャー
走る頻度:故障のため最近は週1回ほど
記録:フルマラソン3時間9分50秒(2018年、湘南国際マラソン)
 
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「Running Up-Date」
ランニングブームもひと昔まえ。体づくりのためと漫然と続けているランニングをアップデートすべく、ワンランク上のスタイルを持つ “人”と“モノ”をご紹介。街ランからロードレース、トレイルランまで、走ることは日常でできる冒険だ。 上に戻る
礒村真介(100miler)=取材・文 小澤達也=写真


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