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「何もできないから、できることを見つけるしかなかった」

©木村辰郎
現代において、巨大なモニュメントはアーティストがひとりで作るものではない。アーティストは完成の絵図を描く。それを設計士や工房が素材や安全性を確保した設計図などにして提案していく。構造が複雑すぎる場合は、さらに構造建築家が加わって、工作物の安全性と建築基準がクリアになると、工房が制作を始める。
チーム全体で作品を作り上げていくのだ。
だから、いい作品を作りたいと思ったら、いいメンバーを揃える必要がある。良い職人は引く手あまた。ほかのアーティストに取られないように、自分が使っている工房をひた隠しにする人も多い。
「そんな環境下で、立体を知らない僕が何をできるかって言ったら、飛び込んでいくしかない。ベトナムに優秀な工房があるらしい、中国の山奥に世界有数の職人を抱える工房があるらしいと噂を聞きつけたら、すぐにひとりで現地に飛んで行って交渉しました」。
何も知らなかった青年は、38歳で香港のハーバーシティに高さ7mの彫刻を含むパブリックアートを建てるまでになった。そして44歳の今、新宿に新たなランドマークを生みだし、世界から注目を集めるアーティストとなっている。
「僕の年齢とキャリアで、どうやってあんな仕事を、あんな巨大なものをできるのかってよく言われるんですよ」。
それほどに多くの称賛を浴び、華々しい成功をした今でも、絵の描き方を知らないというコンプレックスはあるという。
「でもね、転化しないといけない、描けないことを長所にしないといけないと思っているんです。若い頃からデッサンをやって、美術教育をきちんと受けていたら、いろいろなものを吸収しているから、捨てる作業をしながら、自分の作風を決めていったでしょう。捨てられないものだって、いっぱいあったと思います。でも僕は何もできないから、できることを見つけるしかなかった。できないって知っているから、無駄な失敗をすることもなかった。だから最短距離でここまでたどり着けたんじゃないかなって」。
できないことを嘆くのではなく、できることを突き詰めていく。これからは新宿のモニュメントを見るたびに、そんな思いの結実を実感することになりそうだ。
「37.5歳の人生スナップ」
もうすぐ人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。鬱屈した思いを抱えているなら、彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。上に戻る
林田順子=取材・文


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