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ニューヨーク中の美術館を制覇、日本美術との出合い


そこからは学校に通いつつ、自分の作風を探る日々が続いた。
「最初はSTASHやKAWSのようなスタイルに憧れたときもありました。ニューヨークらしいですしね。でも、すぐに気付くんですよ。味噌と醤油とかつおぶしで育ってきた俺には違うわ、って(笑)。人のものを借りているだけじゃ、どこにも辿り着けない。アートって新しい新しい価値に遭遇したときの驚きみたいなものが人の心を揺さぶると思うんです。新しいものって何だろう。どこかで見たという残像がある作風は消去していかなきゃいけない。そんなことをずっと考えていました」。
アートについては素人。今までにどんな作品が世に出ているのか。それを知るために、松山はニューヨークのパブリックライブラリーに足繁く通った。
「そこで出合ったのが美術史のDVD。これを見まくりました。例えば、MoMAに行くと、そのときの自分には理解できない作品がいっぱいあるんですよ。ただ真っ白いキャンバスだったり、壁から板が出ているだけだったり。それが素晴らしい作品だと言われても、その凄さが全然わからない。だけど、美術史のDVDを片っ端から見ていくと、だんだんその価値がわかってくるようになるんです」。
貸し出し上限である週7本のDVDを片っ端から借り、数千本あったDVDはすべて攻略した。
「1年経った頃にはめちゃくちゃ美術に詳しくなった(笑)。で、数年後にはアートの全貌を理解していて、母に解説できるようになってやろう、って思ったんです」。
そこから松山はニューヨーク中の美術館制覇へ乗り出す。
「今思うとバカ真面目だなって思いますけど、決めていたことがあって(笑)。その日、新しい発見があるまでその美術館をめぐって、フロア全部を理解するまで通うこと。そうやって今週はメトロポリタンだ、来週はMoMAだ、次はホイットニー美術館だって感じで、同じ美術館に5日連続通うこともありました」。
熱心に通っていた松山だが、ひとつだけ足を向けない場所があった。
「自分は日本人だ。メトロポリタンで日本のセクションなんか行かなくていいだろう。そう思っていたんですよ」。
あるとき中国美術を見るために、初めて日本美術のセクションを通り過ぎた。
「今でも覚えています。伊藤若冲の鶏の絵と浮世絵が並んでいて、そこで衝撃を受けた。デザインに通ずる木版画の視覚的言語、色数は少ないのにビビッドなカラー、世界に通用する日本らしさ。デザインしか勉強していない僕でもこれならできるかもしれない」。
 
後編に続く。 
「37.5歳の人生スナップ」
もうすぐ人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。鬱屈した思いを抱えているなら、彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。上に戻る
林田順子=取材・文


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