人生の転換期となった世界ナンバーワンの職場
常にいい波に自分を置く。そうしたブレない人生は10歳でサーフィンを始めた頃から変わらない。幼い頃はコンペティションに夢中になりプロを目指した。トップアマとしてスポンサーを得るほどに活躍したものの、同国トッププロとなった同世代を見て自身の可能性の限界を実感。
進路を変え、20歳で母国のサーフィン雑誌「ウェイブス」の編集者に。そして3年後、同誌での活躍が目にとまりアメリカのサーフィン誌「サーフィング」から声がかかる。オファーを受諾して23歳で渡米。以来、カリフォルニアをホームにしている。
「渡米した1997年当時はサーフィン界も出版界も好況で、アメリカのサーフィン誌といえば世界ナンバーワンのメディアだった。そこで働けたことは、とても人生に大きな影響を与えている。
同世代のケリー・スレーターをはじめ出会えたサーフィン界で活躍する人も、多くの国を旅してサーフィンできた波も文字どおりワールドクラスだったしね」。
世界ナンバーワンの環境で経験した数々の“本物”は、まず世界観を広げてくれた。次に感性を磨き、いいものを世界基準で判断する力を与えてくれた。だから当時は未開の地だったチリに家を買えたのだ。
世界観の広まりは仕事にもいい影響を及ぼす。出版社を退社後、ケリー・スレーターを中心に生まれたブランド「VSTR」に携わるなど、編集者時代のキャリアが仕事を生み出してきた。現職もオーストラリアとアメリカをサーフィンでつなぐ仕事で、自身の人生が反映されている。
まさに「職」も「遊」もサーフィン一色。少しの曇りもないストレートでシンプルな生き方には、Airbnbなどのサービスが生まれたことで追い風も吹いている。今やチリの家は、不在時には「稼ぐ家」になっているのだ。どうやらジェシーさんの自由なサーフィンライフは、これからも安泰のようである。
牧野吉宏(W)、ジェフ・ラガッツ、スコット・サリバン=写真 momo takahashi=文