評価をされる反感を一身に受けるのが上司
人間誰も、誰かを評価などしたくないし、されたくもありません。
しかし、会社を運営する限り、事業で稼いだお金を社員に報酬として配分せねばならず、そのため評価は誰かがしなくてはならない必要悪のようなものです。
それをするのが管理職です。
別の言い方をすれば、評価をされるという嫌な気分から生じる評価者への反感を一身に受けること、ベストセラーのタイトルを借りるのであれば、まさに「嫌われる勇気」を持つことが求められるのが管理職の責務なのです。
ある意味、そういう嫌な役目を担うことも高い給料をもらう根拠のひとつと言ってもよいかもしれません。
好かれようとするから嫌われる
それなのに嫌われる役目を引き受けるべき人が、「俺はみんなの仲間だからな」と馴れ馴れしく言ってきたらどう思うでしょうか。
おそらく「人を評価するという神をも恐れぬ仕事の重さを軽く見ているのではないか」「フランクに振る舞ったからと言って、その重荷から逃れられると思っているのではないか」などと感じるのではないでしょうか。
初めての管理職になった当時の若い私は、そういう落とし穴に陥ってしまっていたのではないかと思います。本来は、「俺は上司になってしまったので、(悲しいかな)これまでのようにはみんなとは付き合えない」と示すべきだったのかもしれません。
管理職がいやでも管理職「然」とすべし
近年では、管理職につくこと自体を良しとしない、偉くなることに興味がなく、偉い人に反感を持つ人も増えています。私もそうでした。
そういう人が、自分が管理職になってしまうと、どうしても「いや、管理職になりたくてなったわけではないし」「むしろ、スーパープレイヤーとして活躍したいのに」と恨み節を言いたくもなるのはわかります。
ただ、昇進を固辞しない以上、結局は自分で受け入れたことです。その恨み節は自分の中にしまっておくべきで、他人に、ましてや部下に言う話ではありません。管理職になることを決めたならば、「まさしく私は管理職である」と、管理職「然」と振る舞うべきなのです。
二重人格を貫くのはとても難しい
無論、これは私のような不器用な人間からのおすすめです。日々部下とフランクに接しながら、いざというときには部下の生殺与奪の権を持つ者として振る舞い、それでうまくマネジメントができる器用な方であれば、そのようにする方がよいと思います。
しかし、人事コンサルタントとして、いろいろな会社の組織分析で、部下の皆さんが上司について思っていることを聞くと、うまく言っていると思っているのは上司自身だけの場合が残念ながら多いようです。
自分は役割によってキャラをうまく使い分けていると思っていても、部下は単なる「二枚舌」の信用できない人と思っているかもしれませんよ。
連載「20代から好かれる上司・嫌われる上司」一覧へ「20代から好かれる上司・嫌われる上司」組織と人事の専門家である曽和利光さんが、アラフォー世代の仕事の悩みについて、同世代だからこその“寄り添った指南”をしていく連載シリーズ。好評だった
「職場の20代がわからない」の続編となる今回は、20代の等身大の意識を重視しつつ、職場で求められる成果を出させるために何が大切か、「好かれる上司=成果がでる上司」のマネジメントの極意をお伝えいたします。
上に戻る 曽和利光=文 株式会社 人材研究所(Talented People Laboratory Inc.)代表取締役社長 1995年 京都大学教育学部心理学科卒業後、株式会社リクルートに入社し人事部に配属。以後人事コンサルタント、人事部採用グループゼネラルマネジャーなどを経験。その後ライフネット生命保険株式会社、株式会社オープンハウスの人事部門責任者を経て、2011年に同社を設立。組織人事コンサルティング、採用アウトソーシング、人材紹介・ヘッドハンティング、組織開発など、採用を中核に企業全体の組織運営におけるコンサルティング業務を行っている。 |
石井あかね=イラスト