木型修正8回、トータル30カ月
「もちろんコンバースもブルックスもニューバランスも……ハイテクだって好きだよ。好きだけど、男前なスニーカーって考えればスペリーに軍配があがる。内羽根ってのがたまらないよね。革靴ならオックスフォードといわれるデザインだ。スマートで、エレガント。僕も好んで履くのがハイカット。内羽根のハイカットなんて見たことないだろ。こだわりの一足だよ」。
作ることが決まったはいいが、これが下駄を履かせることなく艱難辛苦の日々だった。木型の修正だけで、じつに8回。話がもちあがって完成するまでに30カ月もの期間を要した。
ピエールが唱える“SCIENTIFIC SHOE FITTING”、つまりアナトミカルな構造をかたちにしようと思えば時間がかかるのも仕方がない。
「左右非対称な甲の峰のライン、オブリークなシェイプ、アーチサポート……すべて大量生産に突き進むなかで振り落とされていった設計思想だからね。今の木型職人に作れって言ったって簡単に理解できるものじゃない。しかしそれにつけてもピエールの細かさったらない。“デビル・オブ・ディテール”と自ら言うのももっともだと恐れ入った。このままじゃ埒があかないと思って、最後はピエールを工場に連れていって直接やりとりさせたよ」。
苦労に苦労を重ねたワクワは、ヴィンテージのエキスパートとして世界でも知られた寺本の持ち味も存分に生きた。
1938年製の海軍用のボートシューズを再現したブラウン×ブラックのカラーパレット、1960年代後半〜70年代中盤のモデルから取り込んだ意匠の数々、型から起こしたスペリーソール──ファンが泣いて喜ぶスペックのオンパレードである。
聞けば、寺本が集めたヴィンテージは5000をくだらないというから目を丸くした。
底付けはもちろんヴァルカナイズド製法。一般にこの製法はゴム底の強度や弾性を引き出し、フットウェアとしての一体感を高め、型崩れがしにくいといわれるが、寺本は「セメントだって悪くないよ。そこはノスタルジックな気分だね。なんてったってスニーカー最古の製法だからね」と笑う。
「ワクワ」はスイス製玩具の名前だった。
「5歳のピエール少年は冬のある日、ボン・マルシェのショーウインドウに顔がつぶれるくらい張りついた。そこに飾られていたのがワクワだった。
犬や猫、シマウマ、キリンを模した木製のそのおもちゃをピエールはクリスマスプレゼントに願ったが叶わなかった。以来おもちゃ屋や蚤の市をしらみ潰しに探すも見つからなかったそうだ。その執念にサンタもきっとおののいたのだろう(笑)。大人になったピエールは商標を持っている人間を突きとめて、買いとることに成功した」。
スペリーソールは犬の肉球がヒントになって生まれた意匠だ。大切にとっておいた商標は、寺本が日本で苦労して作り上げたスニーカーに打ってつけだった。
「ピエールってのはアーティスティックでロマンティックな男なんです」。
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