ただ、その人の魅力を伝える
パラスポーツやパラアスリートをビジュアルで表現しようとすると、どうしても「障がい」がある部分をフィーチャーしがちだ。当然だろう、そう撮らないと被写体がパラアスリートであることが伝わりにくいからである。
しかし、蜷川氏が撮るパラアスリートの写真からは、そんなアプローチは感じない。脚に障がいのあるパラアスリートであっても、メイン写真がバストアップのポートレート、というケースもある。もちろん結果的に“障がい”がある部分が写っていることはある。だが、それは写っているだけで“写している”わけではない。障がいの有無は関係なく、あくまで純粋にひとりのアスリート、人間として表現しようとする気概を感じる。
考えてみれば、ひとりの人間を写真で表現しようとするとき、その人の職業や競技の特性が表れている肉体の部位だけにフォーカスすることはあまりない。
そう、『GO Journal』で蜷川氏が撮るパラアスリートは、ある意味、この「アスリートを普通に撮る」アプローチで写されている。パラアスリートだから、障がいがあるから、といった意図は見えてこない。それは蜷川氏の被写体に対するリスペクトのようにも思える。
『GO Journal』を発刊する日本財団パラリンピックサポートセンターのスローガンは「パラリンピックで日本を変える」。そのミッションのひとつには「D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)社会の実現へ向けた事業の展開」もある。
蜷川氏のパラアスリートへのアプローチは、まさにその意義を体現しているともいえるのではないだろうか。
1月22日(水)に発刊された『GO Journal』最新号のvol.4では、前回のリオでのパラリンピックにも出場した男子車いすバスケットボールの若き日本代表・鳥海連志選手とパラトライアスロンの秦 由加子選手、2人のパラアスリートを蜷川氏が撮り下ろしている。
また、前出した意義を示すかのように、パラスポーツ、パラアスリートの以外にも、重度障がい者向けの分身ロボットを開発した吉藤オリィ氏のインタビューといったコンテンツも掲載。ここでも単なるグラフィック誌だけにとどまらない気概を感じる。
『GO Journal』vol.4は東京・銀座のキヤノンデジタルハウス銀座や全国の蔦屋書店やロフトで配布中。公式サイトでもバックナンバーを含めて読める。パラアスリートの美しく、格好いい姿を目にすれば、パラスポーツにこれまでとは違った印象を抱くはずだ。
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