恩師・大八木監督との出会い
高校入学当初はCチーム部員として注目すらされていなかった前田さんだが、1年生の夏が終わり、年が明ける頃には箱根駅伝すら意識するまでに成長。さらに全国大会では高2・高3とレギュラー枠を勝ち取り、県ではトップの成績を残した。
「そんななか高2の冬にいちばん最初に声をかけてくれたのが駒澤大学だったんです」。
その後、いくつかの大学がスカウトに名乗りをあげたが、一番はじめに自分を評価してくれたという嬉しさが、駒澤大学を選んだ決め手になったという。そして、恩師・大八木弘明監督との出会いが、大きなターニングポイントとなる。
「大八木さんと出会ったから、私は今ここにいて、箱根駅伝でも優勝させてもらった。監督としてはすごく怖い存在でしたけど、『(箱根駅伝に)出場するだけでいいのか?』『自分が主役になる人生を思い描かないでどうする!』と喝を入れられたことで自分を追い込めた」。
練習はきつかったが、同じ指導者の立場に立った今だからこそ、大八木さんの苦悩がより理解できるようになったという。
「自分が現役のとき、大八木監督は迷いなく箱根の出場選手を決めているように見えて、『すごいな』と思っていた。でも僕らの前では見せていなかっただけで、実はめちゃくちゃ迷っていたんです」。
箱根駅伝での起用法が、いかに選手のその後の人生に関わる大きな選択か、その重圧が同じ指導者の立場になったからこそわかるようになったという。実際、前田監督自身も大学1年次は『当日変更』枠で出場を外された経験を持つ。だからこそ『来年こそは絶対!』と決意を強くすることができたのだ。前田さんの箱根駅伝での活躍は
後編で。
藤野ゆり=取材・文 小島マサヒロ=写真