新・シブヤ景●「100年に1度の再開発」で様変わりしつつある街・渋谷。大型商業施設がバンバン建ち並び、いよいよかつての渋谷の面影はなくなるか? いやいや、それは大きな勘違い。むしろ今こそ見ておきたい“新しい渋谷”の景色。
2019年11月13日に、オザケンこと小沢健二が13年ぶりに発表したアルバム『So kakkoii 宇宙』は、こんな1節からスタートする。
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そして時は2020
全力疾走してきたよね
1995年 冬は長くって寒くて
心凍えそうだったよね
『彗星』ⓒ小沢健二
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1995年。オザケンが「強い気持ち、強い愛」を発表したとき、僕は就職氷河期のなか、東京で就職し、渋谷に住んでいた。そして時は2020年(の1年前)、オザケンが「彗星」を発表したとき、僕は全力疾走してきた成果なのか、地元の富山で県議会議員をやっている。
この間の25年は、長くって寒くて心凍えそうだったけれども、なんとか僕らは日常の生活を重ねてきて、気が付けば子供たちが生まれ家族ができたり、気が付けば「就職氷河期世代」と括られて政府から1000億以上の支援プログラムを受けることになったり、それぞれ頑張って生きている。
同じように渋谷という街も、1995年と2020年の25年を全力疾走し、その役割を大きく変貌させてきた。1990年代に“渋谷系”や“コギャル”などのストリートカルチャーを生んだ街は、2000年頃にはIT企業が集う“ビット(渋)・バレー(谷)”と呼ばれるようになる(当時、僕は『ダ・ヴィンチ』というカルチャー誌の編集部に所属していたが、同じビルの上階にはホリエモンが立ち上げたベンチャー企業「オン・ザ・エッヂ」が入居しており、たまにエレベーターで一緒になったロン毛の彼を今でも覚えている)。
2013年に東急渋谷駅が地上駅舎から渋谷ヒカリエの地下に移動し、いよいよ渋谷の超高層ビル化による再開発が本格化。2019年11月1日には、47階建ての渋谷スクランブルスクエア第1棟が開業したところだ。展望施設・渋谷スカイからは渋谷の街を360度見下ろすことができる。
オザケンの『So kakkoii 宇宙』と渋谷スカイ。2019年11月の同時期に生まれた、この2つのコンテンツに共通するのは、“冷めたエンタテインメント”ではないか。超越した世界観というか、先の見えない日本で不安だらけだけど、それでもどうやってポジティブに生きるかを、ある意味先回りして見せてくれているのではないかと。
少子高齢化と人口減少が同時に起こり、明治から150年続いてきた人口ボーナス期が終わるというのは、とんでもない転換点だ。しかし日常生活を精一杯生きて、家族や仕事に向き合っているときには、そんな転換点を感じることは特にない。
そんな歴史と日常の間にある、ちょっと背筋が寒くなるようなホラーのような感覚は、「宇宙的」な視点からでなければ感じることはできない。そんなホラーを受け止めつつも、「そうは言ってもエンタテインメントしちゃうしかないんじゃない?」というプロポーザルを、オザケンと渋谷スカイは提示しているのではないか。
個人的な話で申し訳ないが、オザケンと僕は4つの年齢差がある。彼が小山田圭吾とフリッパーズ・ギターでデビューしたのが東大在学中の21歳。僕は富山の片田舎で高校生活を送っていた。彼らの音楽を通して、イギリスのインディーミュージックやニューアカデミズムの一端にアクセスできたことが、恥ずかしいけれど僕の人生を大きく変えた。
当時、アナログレコードからコンパクトディスク(CD)になり、過去の埋もれた音源が次々と発掘されたことも大きい。フリッパーズが影響を受けたマニアックな“元ネタ”を漁り続けることで、僕は富山にいながら、カウンターカルチャーとしての“渋谷系”を同時体験することができたのだ(連載『
渋谷系再考論』に詳しいので、よければ読んでみてください)。
それから就職する1995年まで、僕は4歳年上のオザケンの背中を追い続けた。ベレー帽を被ったマニアックな文学青年は、あれよあれよと、“渋谷系の王子様”になっていった。あいかわらず楽曲の元ネタはあったけど、フリーソウルからマイケル・ジャクソンまで、いい曲ならなんでもOK!というスタンスで、圧倒的なポジティビティを持つ楽曲を連発。
「愛し愛されて生きるのさ」「ラブリー」「ぼくらが旅に出る理由」「痛快ウキウキ通り」、1995年に「強い気持ち・強い愛」がリリースされる。そして渋谷系はJ-POPへと大衆化され、オザケンも時代の象徴としてカラオケで大合唱され、資本主義的な到達点を迎えた。
ほどなくオザケンは表舞台から姿を消していく。
それから25年、オザケンはニューヨークに居を移し、結婚し、息子が生まれ、ときどき日本に帰ってきてはライブをやるようになり、いつの間にか日本へ戻って本格的な音楽活動を再開し、久々のインタビューを受け『AERA』の表紙を飾った。そこで彼は、「宇宙」という言葉が「愛」みたいに自然に出てきてしまう、と語っていた。
僕も、オザケンの背中を追わなくなってからの25年、結婚し、息子が生まれて今年20歳になり、会社を辞めて地元に戻って編集者をやりながら地方議員として地域をなんとか良くしようと思って頑張っている。そこに流れた時間こそ「宇宙的」であり、その根底には誰かからもらった「愛」と誰かにささげた「愛」が間違いなくあった。
先日、2000円支払って渋谷スカイに上ってきた。Spotifyでオザケンを聞きつつ、「宇宙的」な視界で渋谷を眺めて、再び自分がオザケンの背中を追っているのに気づいたとき、ちょっと嬉しかったことを告白して、この雑文を終わりたいと思う。
藤井大輔=文
1973年富山市生まれ。95年にリクルートに入社し、31歳のときにフリーマガジン『R25』を創刊。現在は富山県議会議員。