東京オリンピック・パラリンピックの先に見る“睡眠4.0”
高岡さんはもともと寝具を作っていたわけではない。もともとは家業でもあった電力機器メーカーを経営していた。それに加え、2004年に伯父からつり糸の製造機器メーカーを継いだ。その会社がクッション材を作る技術を持っていた。自身が事故によるムチ打ちの持病を持っていたこともあり、そのクッション材を用いた寝具の開発を思いついた。こうしてエアウィーヴを販売を開始して、寝具業界に参入したのが2007年。
最初はなかなか売り上げが伸びず苦労したが、選手だけではなく、選手を指導するコーチやコンディショニングを担当するトレーナーにも提供するといった地道な努力が実を結び、3年を過ぎた頃から売り上げが大きく伸びる。その流れに拍車をかけたのが「これはいい!」と使用するトップアスリートが相次いだこと。
「反応で印象に残っているのは錦織圭選手と浅田真央さんですね。錦織選手は人づてで使っていただいたのですが、その後、まだ面識のなかった私に直接お礼のメールがきたんです。『腰に不安のある自分にはとてもよかったです』と。いい物にこだわる姿勢と、世界で活躍するトップアスリートにもかかわらず、そんな気遣いができることに感動しましたね。浅田さんはエアウィーヴへの要望をうかがった際、『遠征先でも家と全く同じ感覚で寝たい』と答えてくれたのが印象に残っています。勝つために細かな環境までこだわるプロ意識はもちろん、その違いを判別できる繊細な感覚に驚きました」。こうした選手の要望を受け、高岡さんはエアウィーヴの改良を重ねていく。東京オリンピックの選手村で使用される寝具は、その集大成ともいえる物だ。過去の選手村では、全室に同じマットレスが供給され、体重の重い選手も軽い選手も同じ寝具で寝ていた。しかし、今回、エアウィーヴが用意するマットレスはそれぞれに硬さが選べる3つのパーツから成る分割構造。3つのパーツは両面の硬さが異なるため、位置と裏表の入れ替えることで、選手は自分の体形や好み、体の状態にあった睡眠環境を作れるのだ。
「寝具が“睡眠1.0”だった世界で、眠りの質を追求した“睡眠2.0”が誕生しました。エアウィーヴは誰も手をつけていなかった、その睡眠の“質”の領域を狙ったのです。選手村に提供する寝具は、その人の体形に合わせてカスタマイズできる睡眠を提供したいと考えました。私たちはこれを“睡眠3.0”と呼んでいます」。
エアウィーヴの提案と進化は、これまでも徐々に一般家庭の寝具にも浸透してきた歴史がある。次に挑むのは“睡眠4.0”だ。
「その日の気分や体調、あるいは温度や湿度、光の状況に合わせて最高の睡眠を提供する、といった分野には、まだ進化の余地がある気がします。もしかしたら寝具だけではなく、空間も併せた睡眠環境の提案などもあり得るかもしれません」。
これまでに寝具を提供した選手や大会では、その結果を細かくリサーチして、改良の手がかりにしてきた。選手村に入るアスリートすべてのデータを収集できる東京オリンピック・パラリンピックが、エアウィーヴにさらなる進化をもたらす可能性は十分考えられる。
「まだエアウィーヴを使ったことがない選手も多いでしょうし、接触したことがない国の選手もいます。そういった方がどんな反応をしてくれるかが楽しみです。また、パラリンピックでもオリンピックとは違った、さまざまな体の条件を持つアスリートがいるでしょうし、競技ごとの選手の反応の違いも見てみたいですね」。
東京オリンピック・パラリンピックは単なるスポーツイベントではない。未来の寝具、睡眠を変えるかもしれないイベントでもあるのだ。
田澤健一郎=文