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当日に起用から外された“キャプテン”

酒井俊幸
大学でカルチャーショックを受けたのは、まず寮生活だ。福島から上京して、生まれて初めての家族以外との共同生活。1年生から4年生まで、“ごちゃまぜ”で過ごす寮での日々では忘れられないという。
「7畳ぐらいの部屋に3人、布団を川の字で敷いて寝ていました。一応言っておくと、今の学生はもっと大事にされていますので私のときとは環境が違いますよ(笑)。でも面倒見のいい先輩にいろいろ教えてもらったり、ときには厳しく注意されたり。住めば都……じゃないですけど、いい思い出は多いです。箱根駅伝ってまさにワンチームで、個人さえ頑張ればいいというものではない。寮生活のなかでも少しずつチームワークを育んでいくことが大事。箱根駅伝もまた、チーム全員で挑むものです」。
駅伝選手のキャンパスライフとはどんなものなのだろう。当時の生活を振り返ってもらうと、その毎日は想像以上に陸上競技一色で染まっていた。
「長距離選手は、朝食前から練習するのが当たり前です。朝起きてすぐトレーニングして、そこから授業に出る。昼食は学食で済ませて、夕方にはまた練習を始めて、夜は寮の清掃や体のケアをするという毎日です。アルバイトをするような余裕はとてもなかったですね」。
さらに酒井さんは通常の授業に加えて教職課程もプラスして取るという多忙な日々を過ごしていた。大学では個々の授業もバラバラなため、自分自身で体のケアやトレーニング量を調整する力が求められた。
「スケジュール表をのぞき込み、どこで勉強して、どこで集中的にトレーニングをして、体のケアをするか。最終的な裁量が自分に委ねられているので、甘えを生まない環境を自分でつくるしかないと思いました」。
酒井俊幸
大学1年次から3年連続で憧れだった箱根駅伝に出場。目標としていた大舞台を初めて走ったときの光景は今でも鮮明に覚えているという。
「沿道の声援が二重、三重になって響いて聞こえてきます。それが走り始めてからずっと絶えない。箱根駅伝というのはすごく特殊な場所で、大舞台で力を発揮する選手と、どうしても発揮できない選手がいます。私は、どちらかというと後者でした。勝負事はどこまで、本番を想定して準備できるか。私は大会にむけたコンディショニングという点で、準備不足のまま試合を迎えていた。今ならもっと食育やフィジカル強化を行い、万全な状態で試合に臨めたと思いますが、あの時はそれができなかった。レースでプラン通り走れるのも、走れないのも、どちらも必然です。」
念願の箱根駅伝で走れるという感動は大きかったが、思うような結果は残せなかった。持ちタイムではチームのエースだった酒井さん。4年次にはキャプテンに任命され、チームを引っぱり、仲間をどうケアするか考えなくてはならない。主将として背負うものはさらに大きくなった。
「これまではチームに自分がどれだけ貢献できるかを考えればよかった。あくまでチームの中の一員という感覚です。しかしキャプテンになったことで、いろいろなことが重くのしかかってきました」。
箱根の本番が近づくにつれ、徐々にコンディションは下がっていった。そして酒井さんの陸上人生の中でも忘れられない出来事が起こってしまう。
「箱根駅伝は、当日の朝6時50分までなら走者のメンバー変更ができます。今でも、ハッキリと覚えています。大会の前々日、キャプテンだった私ともうひとりの選手が監督の前に呼ばれて、こういう理由で君は起用できない、その代わりに私の隣の選手を起用する、と告げられました」。
キャプテンとして陸上部に捧げた1年間、駅伝メンバーから外れることを告げられた酒井さん。しかしその苦い経験がいまの監督人生に大きく影響を与えているという。いったいなぜなのか? その続きは後編で。
後編はこちら
藤野ゆり=取材・文 小島マサヒロ=写真


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