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1年間の無職生活の後やはりヤングジャンプで『ハラハラドキドキ』という漫画を始めることができた。腹に人面瘡が宿った高校生男女が主人公という、やはりシュールなギャグ漫画だった。しかし『ハラハラドキドキ』もあえなく打ち切りになってしまった。
「それまでは実家暮らしでしたが、1人暮らしをするために赤羽に引っ越しました。『もっといい作品を描こう!! 漫画だけに専念しよう!!』と思っての覚悟を決めた移転でした」。

最も苦しい時期を迎えた清野さんに転機が訪れる

『ハラハラドキドキ』が終了したのが2003年、そして『東京都北区赤羽』の連載が始まったのが2008年。その間の5年間が、清野さんの漫画家人生の中で最も苦しい時期だったという。
そしてその時期に描いた作品が先日発売になった『まあどうせいつか死ぬし ~清野とおる不条理ギャグ短編集~』に載っている作品群だ。
つらい時期を思い出す靖国通りと白山通りが交わる交差点(東京・神保町)にも、今回立ち寄った。
「ヤングジャンプの専属契約は2006年に切れました。そこから色々な出版社に持ち込みしましたけど、全然相手にされないことも多かったです。編集部に行っても、名刺も渡されず、いかにも『お前には興味はない』と言いたげなやり取りをして帰されました」。
漫画専門誌以外の雑誌に漫画を描くのは、“横道にそれる”というイメージがあったので避けていたが、そうも言ってはいられなくなった。当時やった仕事の中には、屈辱的な気分になるものもあった。
「『まあどうせいつか死ぬし ~清野とおる不条理ギャグ短編集~』に載っている漫画を久しぶりに読み返すと、当時の自分をありありと思い出しました。とてもつらくて、未来は全然見えなかったけど、それでも30歳までは頑張ろうと決めていました」。
その頃、仕事とは別に、ホームページやブログで雑記を書き始めた。反応は上々で、「日常ってネタになるんだ」。と感じた。
「プライベートで出会った、赤羽の街にいる常軌を逸した人たちを見ていると『自分が描いてる漫画よりもよっぽど面白いじゃないか』とも思いました。つまり『創作漫画ダメかも?』と『赤羽はネタになるかも?』と思う時期がたまたま重なったんですね。とにかく現実の赤羽を舞台にした漫画を描いてみました」。
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