今から約10年前、貧乏エピソードをドラマチックに綴った自伝『ホームレス中学生』で人気を得たものの、その後は仕事が激減。芸能界の激しいアップダウンを経験した田村 裕さん(40歳)。露出が増えたことで観客から罵声を浴びせられたり、芸人仲間からやっかみを受けたりと、心が沈むときもあったという。
「こんな思いをするのはお金を持ってしまったからだ、もう早くお金なんてなくなれと思って、ガンガン使いました。それがまた『印税で豪遊』とかメディアに書かれてしまうんですが……。お金がなくなったあとはバイトをしていた時期もありましたが、不思議とそこまで辛くはなかったですね」。
そしてこの時期に出合ったのが、現在、田村さんが最も力を注ぐもののひとつ「バスケ」である。
「バスケと心中しよう」
時間に余裕ができたことで学生時代に夢中になったバスケ観戦を始めたという田村さん。しかし、芸人の先輩にはある忠告をされていた。
「芸人の仕事にもスポーツ枠ってあるんですけど、ぶっちゃけると『仕事が欲しいなら、野球、サッカー、競馬の3つのどれかにしとけ』って先輩に言われたんです。『バスケじゃ仕事に繫がらん』と」。
まだバスケの国内リーグ『Bリーグ』も発足していない10年前、日本バスケットボールの未来はまだまだ発展途上で現在のような人気にはほど遠かった。
「先輩は僕のためを思って忠告してくれたんです。でも、たとえ仕事にならなくても僕はバスケがよかった。元がアホなんで、興味ないことはできない。もう腹くくって『バスケと心中しよう』と思いました」。
そこまでバスケにこだわるのには、何か理由があったのだろうか。
「中学時代、バスケが大好きだった僕にお兄ちゃんがマイケル・ジョーダンのTシャツを2枚プレゼントしてくれたんですよ。そのときはわからなかったけど、貧乏で、まだ大学生だった兄ちゃんがお小遣いをはたいて安くはないTシャツを買ってくれた。高校時代も働こうとする僕に『家のことは俺がなんとかするから、バスケだけは3年間続けてくれ』と言ってくれた。だから僕はずっとバスケができたんです」。
兄が時間やお金を犠牲にしても与えてくれた『バスケットボール』は、田村さんの人生のかけがえのないもののひとつとなった。だからこそ、バスケで恩返しがしたい。そうして約10年。バスケ情報を発信し続ける稀有な芸人として、バスケ関連の仕事が急増し、YouTubeチャンネルも開設。バスケファンからも支持を集めるようになった。
「普段は電車乗ってようが街歩いてようが誰からも声をかけられないのに、バスケ会場でだけは僕すごい人気があるんですよ(笑)」。
それはバスケ界が今のような盛り上がりを見せるずっと前から、田村さんがひたむきに向き合ってきた証だろう。
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